**1999年11月**

<<<V8(ブルネイ)/9M8マレーシア>>>

第27回 Seanet Convention に参加して
             JA3ART/海老原和夫


1999年11月19日から21日までブルネイで開催された第27回Seanet Conventionに参加し、そのあと、
24日まで東マレーシアのミリで9M8TGを運用してきましたので、その8日間をリポートしたいと思います。
 私自身、いままではSeanet Conventionがどんなミーティングなのか、よく知りませんでしたが実際参加してみて、
また次回のHSでの開催も参加したい気持ちになっています。

【準 備】

現地局との打ち合わせやホテルの交渉など、今回の世話役は、V8/9Mへは何度も行き現地の方とも懇意にお付き合いを
しておられ、そしてV85TGと9M8TGのCallsignをお持ちのJH3GAH後藤さんにお願いすることとしました。
以後は参加者用に作ったメーリングリストで打ち合わせや連絡を行い、ミーティング等は一度もなく、再度、全員が
顔合わせをしたのは出発当日の関空ででした。
MLで頻繁にやり取りのあったのは、やはり持ち物分担のリストでした。
現地局へのお土産や依頼のあったパジェロ・カーラジオ用電動アンテナ(9M8=MIRIでは入手困難)、そして、
V85HG、Mr,Hassanからは、日本で一番美味しいお米を持ってきてもらえないか、とのリクエストがあり「魚沼産コシヒカリ」
10kgをJA3AERさんと私とで持ち込みプレゼントました。 (最高のお米でも、炊き方や水が悪ければ…)
ホテルは現地局の協力で安くて素晴らしい部屋が確保されていました。
参加者は、JA3AA,JA3CF,JA3IG,JA3UB,JA3AER,JA3NGW,JH3GAHの各局、そして現地でJR3WXAさんと合流して合計で9名
なのですが、IGさんがXYL & 妹さんと一緒に参加さたので総勢で11名ということになりました。

【ブルネイまで】
11月18日午前11時30分関空発のマレーシア航空(MH)でペナン経由クアラルンプール(以後KUL)まで行き、
空港内にあるホテルで1泊し翌日の午前11時30分にブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワン(以後BSB)に到着です。
昨年の9月まではJAからBSBまでの直行便がロイヤル・ブルネイ航空で運行されていましたが、現在は運休中で
乗次便となり結構時間がかかりました。
翌19日の早朝、KUL空港でBSB行きの搭乗手続きのためカウンターで順番待ちをしていたのですが既に
搭乗手続きのアナウンスも始まっているのに列が進まず、おかしいなあ〜、と思っていたらコンピューター故障のため
手作業で発券していた訳で、機内預け荷物はカウンターの前に置て搭乗するようにとの説明がありました。
1年半前に建て替えたばかりの新しい空港で、関空とは比べものにならないくらい広いし綺麗だし、外見での設備は
立派だし素晴らしい空港だと思っていたのですが… 。
機内で配られた入出国カードを記入する訳ですが、項目に「Race(人種)」「Marital Status(既婚/独身)」や
「Religion(宗教)」など、いままでの海外旅行では経験しない項目がありました。
また、入国目的も「観光」という定番の選択枝がなく「友人訪問」「コンベンション」「休暇」などとなっていました。
ほぼ、予定通りの時間でブルネイ国際空港に到着し、通関手続きの順番待ちをしていたのですが、後ろから前方を
見ていると、皆さん荷物を開けて検査されています。 禁酒国なので不法に持ち込まれる酒類のチェックでもしているので
しょうか。 ややして、小柄なオッチャン(失礼)が現れ、JH3GAH後藤さんと挨拶し、我々を引率して税関検査カンターに
連れていき検査官に何やらひとこと・ふたこと話をしたら、そのままフリーパスで空港外へ出してくれました。 この人が
V85HG, Mr,Hassanでした。空港駐車場には迎えのマイクロバスがスタンバイしており、約10分で今回のConventionの会場と
宿泊場所になるORCHID GARDEN HOTEL(オーキッド・ガーデン・ホテル)に到着です。
このORCHID HOTEL、実は2ケ月前の9月に新築し開業したばかりの新しいホテルでした。
後で聞いた話ですが、今回のConvention会場が間際まで発表されなかったのは、BSBで200名程度を収容できる
イベントホールを持つホテルがいままでなかったそうで、ORCHID HOTELの竣工時期次第では会場変更の可能性も
あったそうです。ですから、V8SEAのシャックが置かれていた最上階の7階などはまだ未完成の工事中の客室がありました。
かえって、お客が居ないので24時間運用する無線室への出入りには気をつかうこともなく、深夜・早朝でも
ドアーを開けたまま運用できました。
部屋はゆったりしたツインを一人で使用して、1泊4,000円でした。

【Convention】
今回のConvention参加者は主催者発表(参加者リストが配布された)で17ケ国116名でした。 
ただ、地元の名士や電波監理局のお役人5〜6名などハムと関係ない人たちも招待されていましたので総勢では
150名位であったかもしれません。
やはり、JAからの参加者が一番多く27人、そして9M/マレーシアからが22人、主催国であるV8は24人
でした。 あとのカントリーからは全部1桁の参加者でした。
私の印象に残っている局は、DXerで有名なN2OO、Seanetでの常連さんHS1YL,今回の参加者では最高齢で、
ただ1人台湾から参加されたBV2A(パーティでは偶然隣同士の席になった)、太平洋戦争中に日本軍の通訳を
していたという流暢な日本語を話す9M2PD、素晴らしい詩の朗読を披露した9M6CD、JAからただ1人、
事務局で頑張っていたJA4ENIなどの皆さんでした。

【Convention 第1日目】
夕方5時から9時まで、気楽な立食パーティで、お互い自己紹介やQSLカードの交換などであっという間に4時間が
経過していました。
実際にEyeballで顔を合わせて話をすると結構多くの局と友達になれたし、JAへ帰ってからQSOしたHS0/G3NOM,Rayと
はSeanetでEyeballした気安さからか、話がはずみました。 この辺にseanet Conventionの意義のひとつがあるのでしょう。
また、同じ会場内でJA3CF岩崎さんがSSTVのデモンストレーションをしておられました。
このパーティで何かものたりない感じがしていたのですが、そうです、さすがイスラムの国、アルコール類が
一切無いのです。 コーラ、スプライトなどの炭酸飲料で肉料理も食べられないし水やコーヒー、ジュース類で我慢です。
  予定の9時になってお開きとなったところで、司会者から「皆さん、ロビーに集合してください」とのアナウンスです。
なんと、これからBSB郊外20分のところにある「Jerudong park」へ行くとのことで、3台のマイクロ・バスが
用意されていました。
この遊園地、国王の親戚筋にあたるどなたかが私財を拠出されて造られたそうで、最新の各種ジェットコースターや
ウオータースライダーをはじめ、JAでお目にかかれる大規模ハイテク遊具が揃っており、ひと晩ではとても廻りきれる
広さではありませんでした。 また、色とりどりの照明が大変きれいでファンタスティックで高さ60mの回転展望台から見る
夜景も素晴らしものでした。この遊園地で驚くことが2つありました。
ひとつは、入場料や遊園地内の乗物や施設利用は一切無料であること、2つ目は夜間しか開園(朝までのオールナイト営業)
してないことです。 これは、昼間は暑くて人が来ない、それと照明効果が出ないことなどが理由の様でした。
設備のメイテナンスや従業員の給料など、凄い費用になると思うのですが、この遊園地を造った人が出しているそうです。

【Convention第2日目】
朝8時30分にロビー集合で、今日は夕方5時まで、用意されたマイクロ・バスで市内観光です。
素晴らしいお天気で、いつもより湿度が低いとのことで、気温30度というのに長袖シャツでもそんなに違和感がありません。
まず最初はYANASAN公園でOmar Ali Saifuddien Mosqueをバックに全員の記念写真です。
六切サイズに引き伸ばされた写真は帰国時に希望者へ6Bドルで販売されてましたので、私も1枚買って帰ったのですが、
自宅で袋を開けたら2枚も入ってました。 Hi 
国王のパレスは、外からだけの見学でしたがイギリス人ガイドの説明では、国王は車好きで所有している車の台数がなんと
600台だそうで、それらはいつでも動かせる状態で整備されているそうです。
豪華賢覧な王室宝物・資料博物館(Royal Regalia)は、アラビアン・ナイトにでも出てくる様な曲線美と色彩の素晴らしい建物で、
内部は撮影禁止のため入り口でカメラ類を預けなければなりません。 また女性は黒いガウン(貸してくれる)をまとわないと
入場できません。(最近までは女性は入場出来なかった)
ランチは、大きな川べり(海の湾内かも?)のレストランでタイ料理が準備されていました。 もちろん、アルコール抜きで
各種のトロピカル・ジュースが出されました。
その後、3時間の自由時間が取られたので私たちは、水上タクシーをチャーターして世界で一番大きいと言われている
水上村(Water-Village)を2時間かけて見学しました。
バンコクなどにも大きな水上部落がありますが、どちらかといえば下層階級の人たちが居住していますが、ここBSBでは
結構高所得者層の人たちも住んでおり約4万人が居住しています。
ですから、上下水道(水洗トイレも完備)、銀行、郵便局、学校、病院、モスク、水上ガソリン・スタンドなども完備されています。
対岸との行き来は水上タクシーを利用しますが、1回が1Bドル(約63円)です。
まだ集合時間までには少し時間が有ったので、大型スーパー・マーケットでショッピングをしたのですが、物価は安かったです。
 絹製でサイド・ベンツのはいったカラフルな長袖シャツ(ブルネイでは正装時に着るもの)が20Bドル(約1260円
=JAだったら5K円位?)と安かったので息子への土産に5枚ほど買って帰りました。
また、写真フィルムは外国では高いというのが相場ですが36枚撮り(小西六製)で550円とJAよりも安いくらいでした。
私がコダックを選ばずサクラを選んだので売り場のYLは「JAから来たのか?」と尋ねてきました。
話しのきっかけが出来たので少し話しをしたのですが、(英語も公用語)やはり、日本人は珍しいとのことでした。
そして、大半の電化製品や自動車などが日本からの輸入とのことで結構、日本のことはよく知っていました。
今回のメイン・イベントであるGala Dinnerが7時半から始まりました。
このディナーにはハジ・サワリ・ボルキア皇太子殿下が列席されるということで、男性参加者は出来るだけスーツ着用との
お触れが廻ってきました。
会場には舞台が造られ、その袖にはホテル専属のバンドが生演奏をしています。
  主催国の皆さんやマレーシアの皆さんは、色あざやかな民族衣装が多く、JAからも数名のYLさんが着物姿で
皆さんの注目をあつめていました。
定刻よりやや遅れて皇太子殿下が入場されたところで殿下により開会が宣言され、V85HG,Mr.Hassanが歓迎の挨拶、
そしてSeanetの意義や今回の参加国の紹介がありました。
JA8OW谷本さんが、参加国を代表して原会長のメッセージを流暢な英語で代読され皆さんの拍手喝さいをうけておられました。
続いて各国の代表者が、それぞれ3〜5分程度のスピーチをされましたが皆さん英語がお上手でした。
また、Seanet Contest入賞者の表彰も同時に行われ、皇太子殿下から直接トロフィーが授与、握手され、入賞者は感激です。
いよいよ、参加各国によるお国自慢のエンタテイメントが順番に披露され始めました。
やはり、お国の歌が多かったのですが、9M6CAは素晴らしい詩の朗読、DU7ESFは、独唱でDUの歌を歌ったのですが、
ホテルのバンドの皆さんがDU出身であったため、急遽、伴奏をつけておおいに盛り上がっていました。
JAからは、外国の参加者も殆どのみなさんが口ずさんだ程よく知られている「スキヤキ・ソング」を30人ほどで合唱し
大歓声でした。(事前に歌詞カードが全員に配られていた)
アルコール抜きなのに、こんなに盛り上がるとは想像も出来ませんでした。 Hi
盛り上がったGala Dinnerも次回でのHSでの再会を約して、11時過ぎにお開きとなりましたが、
皇太子殿下は挨拶をされればすぐに帰られるのかなと思っていたのですが、が最後までおられたのには驚きました。
このConventionの様子は翌日の夜のTVニュースで放映されましたが、皇太子殿下の後ろの席に陣取っていた
われわれが度々TVの画面に登場していました。
これで、Seanet Conventionの催しは全て終わりましたが、地元ブルネイの皆さんのホスピタリティに感謝し、次回のHSでの
開催にもぜひ参加したいと思っています。
JAで開催した場合、120Bドル(約7,500円)の会費でこれだけのことはとても出来ないだろうと思うほど、素晴らしい内容の
企画でした。
いよいよ、明朝は陸路、東マレーシアへ向けて出発ですので無線室には行かずに部屋に戻りパッキングをし、
早寝で英気を養いました。

【無線運用】
無線室をのぞいてリグが空いているときに運用したのですが、実際問題として殆ど空き時間がなく1時間くらいしか
運用出来ませんでした。(いつも、誰かがOPしているので)
設備としてはアンテナはR−7000とワイヤーDPが7階建てホテルの屋上に設置されており、ロケーション的にも良く
飛びそうです。RIGはTS−940のベアーフットの100ワット運用です。
7階に準備されている無線室は、24時間開放でいつでも出入りできます。 また、キッチンが付いてる部屋なので夜中の
運用ではコーヒーを入れたりすることが可能です。
私自身は、1時間程しか運用できませんでしたが、24MhzSSBでV8SEAが60QSO、呼ばれなくなったのでV85TGに
切り替えて53QSOでした。
QSLはV8SEAがJA0AD、V85HGはJH3GAH宛てへお願いします。
 N2OO、BobがJAを相手にSSBで運用している際に横で聴いていたのですが、私には取れるコールサインも彼には
取れず首を横に振っています。 すなわち、JA流の発音なので彼には聴き取れない訳です。 特に、M=メキシコ/マイク、
H=ホテル、J=ジュリエットなどで苦労している様でした。

【免許制度】
AクラスとBクラスのふたつのクラスがあります。
AクラスはHFオールバンド・オールモドで500ワットPEPで許可されV85AAの様なコルサインの構成です。
(12WPM=60字/分のコード試験有り)
Bクラスはコード試験無しでU/VHFの電話のみでV8ABCなどの様なコールサインの構成です。
最近では、外国人への免許付与がかなり制限されています。 そしてCW60字という条件があるのでJAの2アマでは
HF帯の免許は得られません。

【ブルネイについて】
正確な国名はBrunei Darussalamと大変長い名前です。 その首都はバンダル・スリ・ブガワン(bandar Seri Begawan=BSB)と
これも長い名前です。
総人口は30万人で、その内の10万人が4km四方のエリアのBSBに住んでいます。
この国の国王は、つい先程、ビル・ゲイツに抜かれるまでは世界一のお金持ちでした。
また、石油や天然ガス採掘で挙げる収益が大きいので国民の税金、教育費、医療費は全て無料といううらやましい国です。
その天然ガスの99%がJAに輸出されていて、JAとは深い関係にあります。
面白いことに、石油産油国なのにガソリンの値段はJAとほぼ同じなのです。 これは、原油が採れても精油施設がないので、
ガソリンは輸入されているからです。
言語はマレー語と英語なので、皆さん、英語は堪能です。 TVのニュースなども最初マレー語でしゃべり、そのあと同じ
内容をまた英語で繰り返していました
宗教はイスラム教なのですが、キリスト教や中国系の人などでは仏教も少しある様です。
ですから、法律で飲酒が禁止されているので、お酒飲みの人にはつらい国です。
車が大好きな国王なので、道路整備も行き届いており、高速道路も整備されています。
私たちの乗ったマイクロバスも120kmくらいの速度で走っているのですが、それをアッという間に追い越して行く
ポルシェ、BMWやベンツなどがあります。 ガイドの話しでは全てロイヤル・ファミリーの車だそうで、警察も大目に
みて取り締まりをしないそうです。 通行区分はJAと同じで左側通行の右ハンドルです。 またkm表示です。
だいたい、1家族で2〜3台の車を所有しており、100m先への買い物でも車を使うそうで、確かに街中では結構車が
混んでいました。 また、たいていの人が車で移動するので、暑い日中などは歩いている人を見かけませんでした。
通貨はブルネイ・ドルで1Bドルは約63円です。 1ドル紙幣は薄いプラスチック製の様な感じで真中が☆型に
くり抜かれいる面白い紙幣です。(くしゃくしゃにならない) 
あれだけの素晴らしいモスクや興味ある建築物、水上部落など観光地としても十分宣伝できるのに、観光客は全く
見かけませんでした。
いまの時代、何処へ行っても日本人観光客がいるのですが、Conventionに参加している人意外の日本人とは1人も
会いませんせんでした。(空港ででも…)
大変興味ある、そして美しい国ですので機会があればもう一度訪ねてみたい処ではあります。
来月号では、東マレーシア、MIRI(美里)での滞在をリポートいたいと思います。


【東マレーシア・ミリに移動】
素晴らしい企画で開催されたSeanet Conventionも11月20日のGala Dinnerで幕を閉じ、これからの私たち11名の
予定は21日の正午、運転手付きでチャーターしたマイクロバスで陸路、東マレーシアのミリ(MIRI=美里)まで移動し、
ここで24日まで滞在してて9M8TGを運用することでした。
ブルネイと東マレーシアの国境を越えてすぐのところにあるミリはBSBから約250km、バスで4時間の距離です。
ミリは人口約16万人でサラワク州の州都クチンに次ぐ大都市ですが、ブルネイに一番近い都市ということで、
週末はブルネイのお金持ちが大挙して車で買い物やお酒を飲みに押し寄せて来る訳で、週末は人口が18万人にも膨れ
あがります。
  人口の割に大きなホテルが沢山ありますが、この週末のブルネイからのお客さんで経営が成り立っているのだそうです。
ですから、国境のイミグレ・税関では週末は延々と車の列が続いて通関に1〜2時間かかってしまうそうです。
Conventionに参加していた9M8DB,Mr.Johnnyの運転するパジェロの先導で出発です。
しばらくは、高速道路かと思うほど素晴らしい海岸べりの一般道路を快調に走り、皆さん疲れがでたのか居眠りを始めました。
3時間程走ったところでブルネイ最後の集落クアラ・ブライトでガス・チャーヤジやトイレ休憩で10分ほど停車です。
そして、ガソリン・スタンドの前の大広場で原色の綺麗な民族衣装をまとった人達がパーティをしていました。 
結婚式だそうで、この辺では親族縁者は勿論、近所の人達も招いて2日2晩、盛大にお披露目をするのだそうです。
そして、いよいよブルネイとマレーシアの国境ゾーンに到着です。
一旦バスから降りて、出国審査場の建物に入り出国手続きをします。 入国時に記入していた出国カードの提出と
パスポート・チェックだけで質問も荷物検査も無く簡単に通過できました。
そして、再度バスに乗り100mほどのニュートラル・ゾーンを移動して、今度はマレーシア側で入国審査です。
今度もバスから一旦下車し、5レーン程ある車線のうち、ブルネイ人を除く外国人用レーンのブースの前で順番を
待ってパスポート・チェックとバスの中で記入しておいた入出国カードを提出、荷物検査も無くすんなり通過できました。
ブルネイ側でもマレーシア側でも検査官は全て頭に絹の布を巻いた女性でした。
飛行機で入国する場合は、EDカードには便名を書きますが、バスでの入国の場合はナンバープレートの登録番号を
書かされました。


【東マレーシアに入国】
これでブルネイともお別れで、いよいよ東マレーシアに入国です。
マレーシア側に入国して一番最初に感じたことは、道路状況がかなり悪くなったことで、居眠りもできないくらい
よく揺れだしました。 そして道路幅も狭くなりました。
また、景色も殺風景なものに変化してきました。 葉っぱをつけてない立ち枯れの樹木が林立している異様な景色です。
これは、一昨年のインドネシアでの大規模森林火災の降灰でジャングルの樹木が枯れてしまい、そのまま放置
されているためです。 あちこちに、黒く焦げた大木もまだそのまま放置されていました。
30分程走ったところで、大きな河をフェリーで渡りそうこうする内にミリの町へ入りました。
  さすが、市街地では中央に椰子の木やハイビスカスを植えたグリーンベルトのある片側2車線のFBな道路に整備
されています。また、土地に余裕があるせいか、十字路が少なく主要なところではロータリー方式が取り入れられて
いるので、車の流れはスムースです。
ただ、運転マナーは良くなさそうで、一方通行の逆行や一旦停止をしないための事故が多発しているそうです。
通行レーンはJAと同じ左側通行の右ハンドルです。 ほぼ予定通りの16時に宿泊先となるHoliday Inn Miriに到着しました。
9M8DB,Johnnyさんがこのホテルの電気設備やコンピューター・システムの仕事を請け負っている関係で支配人とも懇意で
あるため、滞在中はホテル・スタッフの皆さんには大変お世話になりました。 ウエルカム・ドリンクのサービスがあり、
各人の部屋割とキーを受け取り今後の行動の打ち合わせをします。その間にホテル・スタッフが荷物を各人の
部屋へ運んでくれていました。部屋は全て6階のSeaside Viewのツインを1人で使用します。 本当に眺めはいいし、
ツインを1人で使うのですからゆったりしてVY FBです。
ここMIRIの海岸から見るサン・セットは世界一だとホテル・スタッフが自慢していましたが、本当にそのとおりで、
刻々と変化する空のオレンジ色やその雲のパターンの変化はまるでオーロラでも眺めている感じで本当にすばらしいい
ものでした。
シャックは7階のスイート・ルームにセットして、ここにはJH3GAH後藤さんとJR3WXA八木さんが宿泊し、ドアーは施錠せず
24時間出入り自由としました。
治安の悪い外国でなぜ施錠しなくても安心出きるかというと、7階エリアはスイートなので、一般の宿泊客は7階へは
上がれない様になっているからです。 7階へ行くにはスイートの宿泊者のみに渡されているカードが必要なのです。
(エレベーターが動かない)
また、7階エレベーターホールには24時間スタッフが常駐していて人の出入りをチェックしています。
私たちは、全員、7階へはフリーパスで入れる様に配慮されていました。

【無線運用】
到着1時間後の夕方5時からアンテナの架設にかかりました。  アンテナは7階建ホテルの屋上に架設します。
 到着したとき、屋上に素晴らしいHF用3素子と2素子の八木アンテナ(7mhzを含む)がスタックで架設されて
いたので、てっきりこれを使うものと思っていたのですが、これは地元クラブが6階の倉庫内に置かれている
クラブ局用で、勿論、使わせてもらえるのですが、ただ、冷房設備は無し、おまけに窓も無い高温多湿の
この部屋で私たちは多分30分も居られないだろうと、9M8DB,Johnnyさんは言ってました。 無線機も
高温多湿のため、よく壊れるそうです。しかし、このシャックから1週間前にJR3WXA八木さんがコンテストを
やっており、また、私たちが帰国後もここから9M8YYでコンテストに参加されてました。
ただ、この高温多湿のシャックで頑張ったせいかどうかは定かではありませんが、八木さん、帰国してすぐに1ケ月の
入院生活をされてました。
余談はさておき、このFBなアンテナ以外に屋上にはこれも地元クラブのCushclaft R-7000が上がっていますので7〜29MHz
(WARCを含む)はこれを拝借することとしました。 海岸辺りで、しかも屋上の海岸側コーナーに5mhのルーフタワーの
上に架設されているのでバーチカルと言えども大変よく飛んでくれました。
あとは、JAから準備してきた3.5/3.8mhz用フルサイズ・ダブル・ダイポールと1.8mhz用フルサイズ・ダイポールを架設
します。
屋上は広いのですが、冷房設備やそのクーリング・タワー、排気ファンなどが林立しており、その間をぬってワイヤーを
展張しなければなりません。
3.5/3.8用はなんなく簡単に架設できたのですが、1.8用が全くNGです。MFJのアンテナ・アナライザーのSWRが無限大です。
同調点が無いのです。 何度も上げ下ろしをしてエレメントを調整したのですが、やはりダメです。
最後は、バランしかないということで、これを交換したらバッチリSWRも1.2でOKとなりました。
50mhzは、急遽、ワイヤでダイポールを作り、ルーフタワーの上から斜めに降ろした傾斜型としました。
(実効高は給電点で3.5m位)
トランシーバーは、最近お亡くなりになになったJA1??(コルサイン失念)さんのご遺族の依頼でTS-940を
現地クラブ局へ寄贈し、それを使用しました。
リニアーアンプは9M8DB,JohnnyさんのFL-7000をお借りしたのですが、これは運用2日目で壊れてしまいました。
壊してしまった原因は、JA3**さんが21MHz ssbで運用していた際、突然8J1RLの前川さんが呼んできて急遽SSTVへ
QSYすることになり、興奮した彼はSSBのままのフル・パワーで延々とSSTVの画像を送信しつづけたところ、
どうも終段の石を飛ばしてしまった様でした。 (保護回路はどうなっていたのでよう??) Johnnyさんには悪いことを
したのですが、マレーシアでのアマチュア用無線機の修理はアメリアカ本土に送っているとのことで、修理は大変そうでした。
幸いにもJohhnyさんの修理技術はかなりなものの様ですので、JAに帰ってから終段の石を送って取り替えは彼に
お願いすることとしました。
ですから、それ以降の運用は全て100ワットのベアフットとなってしまいました。
しかし、ロケーションがいいこともあって、100ワット運用とは思えないくらい、よく飛んでくれました。 
1.8mhzでも100ワットにもかかわらず、JAをはじめUSAやEU、JTともQSO出来ました。 JohnnyとXYLさんを
中心とした地元の方が観光や食事など、趣向をこらした企画で昼・夜間を問わず歓待して下さったので、
実際の無線運用の時間が大変少なくなってしまったのですが、それでも50メガで約450局、1.8メガで約60局、
SSTVでは20QSO、全部で1500QSOという結果でした。
コンディションが良かったこともあるでしょうが、にわか作りの傾斜型ワイヤーDPでの50メガが一番沢山
QSOできたのには皆さん驚きでした。特筆は、8J1RLの前川さんからコールされたことでしょう。
また、京都クラブ員ではJA3BZCさんが追っかけをしてくれて、1.8/1.9をはじめ3バンドでQSO、JA3AJさん
とは50と21で、JH3QNHさんとは21(14メガだったかな?)、JA3KWZさんとは10メガで、JR3KFXさんとは
SSTVでQSOしていただきました。
他にもクラブ員の方とQSOいただいているかもしれませんが、ログが私の手元にありませんので確認できません
ので悪しからずです。 
QSLカードは、先日JH3GAH後藤さんから、発注したとの連絡がありましたので今しばらくお待ちください。

【地元の局と交流】
9M8からもSeanet Conventionに参加されていて既にブルネイで顔馴染みになっていた方もありましたが、
ここミリで初めてお会いする方も3,4人おられました。
到着したその日は、ホテルでJohnnyさんを囲んで夕食会をし、翌日のディナーはJohnnyさんのご家族を
招待しました。
ミリでは一番の高級ホテルであるリーガロイヤル・ホテル(塩小路堀川にあるのと同じ)の日本レストランと
しました。
Johnnyさんが中国系マレーシア人であるからでしょうか、中国の慣習でJohnnyさんのXYLさんや子供さんは
もちろん、XYLさんの妹さん、そしてそのご主人や子供さんなど総勢で10人程の方がこられました。
また、地元の局もJohnnyさんが召集された様で何局かが駆けつけて来られ、9M8FH, 9M8WBの両局はミリから
500kmも南のサラワク州都クチン市へ帰る途中にもかかわらず、わざわざミリに1泊して、参加してくれました。
ですから、われわれ日本人、中国系・インド系・フィリピン系マレーシア人と食文化の違う人達が総勢25人くらいが
集う賑やかなディナーとなり、挨拶にきたリーガロイヤルの支配人(日本人)は開業いらい日本レストランが貸し切り
状態になったのは初めてだと言っていました。
にぎり寿司やサシミは、結構好評でしたが「わさび」はやはりダメな様でした。
ミリで生活している日本人(日本人会があるそうです)は、14人とのことでした。
夕方7時から始まったディナーは10時にようやくお開きとなりこれで解散と思っていらた、各人が乗ってきた
自動車がホテルの玄関にスタンバイしており、これに分乗してミリの夜の観光に案内してくれるとのことです。
マレーシアで初めて石油が出た記念の場所、カナダ・ヒルがこのミリの町の小高い丘の上にあり、その当時の
木製の掘削用タワーが保存されていました。
また、ミリの町の夜景が一望でき、すばらしい眺めでした。
市役所前には、色とりどりの照明でライトアップされた噴水や花壇のある公園があり、まもなく日付が変わろう
としているのに多くの若者たちが集まっています。
マレーシアは、昼間は蒸し暑いので皆さん、夜にこの様に遅くまで外で過ごすそうで、ほとんどの若者はバイクで
来ていました。
結局、この日、ホテルに戻ったのは深夜1時になっていました。

翌日は、昼食をホリデイ・インの中華レストランでJohnnyさんたちがご馳走してくださいました。
そのあと、皆さんの車に分乗して「ワニ園」を見学したり、サラワク独自の焼き物を見学にいったり、そしてその後、
Johnnyさんのお宅に招待してくださいました。
まず驚いたのは、アンテナ・タワーでした。
固定式のブロック・タワーで地上高は45m、3方向にステーが何段にも張られています。HFの八木ビームが
スタックで上がっています。
  アンテナ工事やメンテナンスはすべてJohnnyさん自身がするそうで、地上高45mでの高所作業は私など、とても
出きるものではありません。
一見、JAでは1回の台風で倒壊してしまいそうな細いタワーですが、ここミリでは台風が全くなく風速10m以上の
風は吹かないそうです。
1.8と3.5/3.8のフル・サイズのワイヤー・ダイポールは敷地を越えて道路の向こう側の公園まで張られています。
リニアーアンプはUSA製の「COMMANDER HF-2500」という3CX800Aを2本パラで使っている2kwのものを使っています。
ガレージには、黒色のジャガーが置いてありました。
ひととおり、シャックや仕事場を見せていただいたところで、XYLさんがキッチンへ案内してくださいました。
そこには、ドリアン、ココナツやマンゴーなどのほかに、名前もしらないトロピカル・フルーツが準備されていました。
フルーツ・パーティです。 目の前で豪快にココナツが割られ、ドリアンが割られ器用な手つきで、美味しそうな
フルーツが食べられる姿に変わっていきます。
初めて食べるものも多く、その度に名前を聞くのですが、覚えきれません。
夕食は地元の人しか行かないという市場へ連れて行ってくださいました。
ここで、現地人と同じ食事を摂ったのですが、JA3IGさんの妹さんは暑さと、何とも言えない雰囲気のせいで
しょうか、気分が悪くなり急遽ホテルへ戻られました。
私は目の前で鶏や豚を調理されても気にならないし、基本的には加熱されている物は大丈夫ですし、そして結構味つけは
美味しかったのでヌードルのお代りをしたら、Johnnyさんは大変喜んでくれました。(他の人は残したりしていたので)
同じ市場の中に、絹のスカーフや民族衣装の店があり、みなさん、お土産にいろいろ買っていました。
そのあと、今度は現地人には人気があるという海岸辺りの夜店でココナツをなたで割って飲んだり、小倉金時によく似た
かき氷風のものを食べたり、海岸を散歩したりとここもやはり夜遅いのにもかかわらず賑わったいました。
だだ、Johnnyさんには悪いかったのですが、生水は絶対飲めないので、かき氷が心配になりホテルに帰ってからすぐに
JA3ASUさんからもらっていた抗生物質のカプセルを飲んでおきました。 案のじょう、JA3AA島さんが下痢症状で
1日苦しんでおられました。 Hi

3日目の最終日は、JohnnyさんのXYLさんの妹さんの家へ飲茶に招待されました。
われわれの本音は、少し無線を集中してやりたいのでお断りしたのですが、中国の習慣とかで2日前にご馳走になった
ディナーのお返しをしないといけない、とのことで結局お昼に迎えの車で、お邪魔しました。
大理石作りの広いお宅で、すでに中国風のお饅頭やおもち、ちまきによく似た蒸し菓子、トロピカル・フルーツ、
そして飲み物が用意されていて、ご両親の出迎えまで受けました。
ここへも、無線の仲間が集まってきており、無線をしていない妹さんご夫婦には申し訳なかったのですが、無線の
話しで数時間を過ごしました。
ここで、ハプニングが発生です。
突然、消防車がサイレンをならしてやってきました。 なんと、お向かいの家が火事だったのです。 10分ほどで鎮火
しましたが、本当に皆さん驚きました。

また、度々ホテルへJohnnyさんやXYLさんが訪ねていただき、無線をしてないメンバーを買い物に連れって行って
くださったりと、大変気を使っていただきました。
全行程でお天気にも恵まれ、そしてJohnnyさんをはじめ、地元の皆さんの素晴らしい歓待を受け、想い出に残るミリの
滞在となりました。 
今回は無線をする時間がかなり削ずられましたが、来年のSeanet Conventinoは東マレーシア北部の都市、
コタ・キナバルでの開催が決まったので、その折、再度ミリへの訪問を約束しました。

【帰国便】
11月24日、いよいよミリを離れる日になりました。 
午前中は、無線をしたり百貨店へ買い物に行ったりで過ごし、午後からアンテナの撤収やパキングにあてました。
19時10分のフライトですので、6時にJohnnyさんたちがホテルまで来てくれました。
飛行場までは20分くらいで到着し、通関も問題なく済ませチェックイン。
お世話になったミリの皆さんとは来年の再会を約してここでお別れです。
飛行機も定刻に飛び立ち途中クチンで一旦全員が機外へ出されました。機内アナウンスの説明が聞き取れてなかったので
単なる機内清掃かと思っていたのですが、一旦、外へ出て再入国の手続きをしないといけなかったのです。これは、
サラワク州がまだマレーシアと同一国家として認められていない証拠とのことでした。
イミグレでパスポート・チェックを受け、搭乗券を提示して待合室へ入り搭乗案内を待つ訳です。 JA3CF、JA3NGWの2人が
いつまでたっても待合室に現れません。 外の様子がこの待合室からよく見えるのですが、なんと2人は気楽に売店を
うろついています。まだ、イミグレの列にも並んでいません。 この状況を理解してない様で、手の合図で列にならんで
再入国手続きをする様、合図してやっと気がついてくれました。
あとは、23時59分のKULでの乗り継ぎも定刻通りで11月25日の午前5時にKIXへ無事帰ってきました。
そして帰国後の12月17日、大阪上六近くのイタリアン・レストランで写真交換会と忘年会を兼ねて全員が集まり、来年の
コタ・キナバルでのSeanet Conventionにもこのメンバーで参加をしようと、確認しました。

【ホテル事情】
The Pan pacific Kuala Lumpur International Airport 1泊 8,900円
 KULの空港内にあり、荷物をキャリーに積んだままホテルまで行ける。
 大変豪華で綺麗なホテル。 レストランもFB。 トランジットでの利用には最適。

ORCHID GARDEN HOTEL (BSB/Brunei)    1泊 5,600円
 1999年9月にオープンした7階建て新築のホテル。
 ツインの部屋を1人で使ってこの料金なので、やはり安いのでは。
 空港からタクシーで15分程度.。 BSBの中心街まではタクシーで20分程度。
 中華レストランの麺類はFBだった。

Holiday Inn Miri (East Malaysia)      1泊 4,800円
 Seaside Viewのツインを1人で使ってこの値段。(安い=Johnnyさんの紹介だから?)
 部屋も広くVYFB。 トロピカル・ムード万点のスイミング・プール有り。
 レストランも広くて、安い。 現地人も食事だけにやってくる。
 7階のスイートは 1泊16,000円。(毎日、トロピカル・フルーツの籠盛サービス有り)

                                     以上 

                                                          (おわり) 


(この記事は2000年1月から2000年2月京都クラブ会報No.352-353に掲載されたものです。)


==写真集==  
v85-9m8-001.jpg (18657 バイト)v85-9m8-002.jpg (19184 バイト)
Omar Ali Saifuddien Mospue の前にて。    ハジ・サフリ・ボルキア皇太子殿下と。
すばらしいお天気に恵まれ大変綺麗でした。
しかし、観光客はまったくいない。


v85-9m8-003.jpg (19893 バイト)v85-9m8-004.jpg (19868 バイト)
Jorudong Parkにて                  V8SEA/V85TGで24MHzSSBを運用するJA3ART
左からJR3WXA,JA3AA,JA3ART          後ろに立っているのがJA3CF、座っているのがJA3NGW
広すぎるので運転手つきのカートを利用する。



v85-9m8-005.jpg (11984 バイト)
9M8TGが使っていたANT。 Cushcraft R-7000。
7階屋上で、海岸に面したVY-FBロケーションでした。

v85-9m8-006.jpg (17847 バイト)
9M8TGと運用中のJA3ART Holiday Inn 7F スイートルーム


  (C)Copyright JA3YAQ 2000 All Right Reserved.  *** 無断転載,複製は禁止します ***


   メインメニューへメインメニューへ    サブメニューへサブメニューへ    先頭へ 先頭へ


  Last Update May 12,2000