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**1990年8月**

<<<V6(ミクロネシア)、KH2(グアム)>>>


<<< V63ペディション >>>
            JH3TXR/山本祥三
 今回のペディは準備期間が短く、大変でした。(毎日、状況が刻々と変化していったのでした。)この文章はその時に
進行状況をメモしておいたものですので、状況がリアルにわかるとおもいます。

【3/9】
 長岡京でのCW移行コース練習会場でJR3OFXの8Q7へペディに行った写真をみせてもらっていたJH3TXR,JR3OFX,JE3QBG,
JK3DEVの会話です。
 「今年もどっか行きたいなぁ!!」
 「ほな、行こか!!」
と簡単に決定しました。今年はお金がないので、行き先は近場で現地から免許もらいやすそうな所(当然、現地のコールを
もらえる所)ということで、とりあえずV63に決定しました。日程はJH3TXRの会社の休みが8/2からなので、この前後を
希望。JK3DEVは月末が忙がしいので、8月の始めを希望。JE3QBGはいつでもいいと言うことで、JH3TXRの都合だけで
8/2からに決定しました。
 この時点でJR3OFXも何となく参加表明。のち、JR3KIBも参加表明されました。
(JR3KIBは会社の休みをこの日程に合わせたとか。)この時点では、他に数名の希望者がありました。JH3TXRはすぐに
旅行案内書を買いに行きました。

【3/10】
 JA3OINがV63AO・西村さんとのQSOしたようで、いろいな情報が手にはいりました。それによると、V63は簡単に
免許がもらえそうな感じと判明しました。ポナペもヤップもイースタンカロリンになりV63の好きなコールがもらえるようです。
ただ、のんびりした国ですから、免許は大変日数がかかるので早い目に申請するのがよいということでした。
免許の有効期間は1年間だそうです。ポナペへ来るのは大歓迎とのことでした。

【3/13】
 いつものとおり、JI3NTSが現地までの飛行機の調査をしてくれました。飛行機のフライトスケジュールの関係上、8月2日発で
9日に日本に戻って来る日程が有力でした。日本からはグアム経由でいくしかないようです。

【3/15】
 昨年のように現地での知り合いなどいませんから、現地の状況がまったくわかりません。現地の状況を調べるために、
V63AO局宛にV63での免許・ホテルの事などの問い合せの手紙を発送しました。近いところでヤップという意見もありましたが、
とりあえず、ポナペから運用するということでで話を進めることにしまた。

【3/18】
 この時点での参加者は JH3FJG,JH3TXR,JR3KIB,JR3OFX,JE3QBG,JK3DEV,JA4VUQ(JR3OFXと8Q7へ行ったJA4の
お医者さん)の7人です。その他、JH3QNH,JN3RBEのファミリーでの参加という噂がありました。

【3/24】
 V63ポナペミィーティングをJK3DEV宅で行いました。英文証明の申請用紙を書く会です。担当はいつもの通りJE3QBGです。
従事者免許と局免許とパスポートを持って集合しました。5W1の時と同様JH3TXRのファミリーコピアが活躍しました。

【3/31】
 JA3RZWが、V63AO局と51MHzFMでQSOしました。JH3TXR宛の返事は先日送ったとのことでした。

【4/10】
 V63AOから手紙の返事がJH3TXRに届きました。その内容によるとV63AO局ではよくわからないので、最近、
ペディに行ったJA7AB局に問い合せたらという内容でした。また、我々が行く頃、V63AO局は日本に帰られる
予定のようでした。

【4/11】
 JH3TXRはJA7AB局宛に現地の免許などの質問の手紙を発送しました。

【4/19】
 JA7AB(V63AV)三浦OMより返事いただきました。免許の申請先、適当なホテル、電源事情等の情報をいただきました。
ただ、のんびりした国だから免許には半年近くかかるということでした。間に合うかどうか心配でした。

【4/23】
 とりあえず、申請用紙の請求から行うことにし、JA7AB局に教えてもらった現地の住所に申請書の請求しようと
しました。しかし、ここで問題が発生です。だれも英語の手紙なんか書けないではありませんか。それも免許申請という
ややこしい話を。JH3TXRは「英語の手紙の書き方」という本を買ってきてがんばったりましたが、どうしようもない。
(そりゃそうでしょう、例文に「アマチュア無線の免許申請用紙の請求」なんてありませんから。)ほぼ、1日悩んだ末に
結局、JA3BAG先生に登場ねがい英訳をしてもらいました。パケットで日本文を送ったら2−3時間で英訳が返ってきました。
何にも悩む事はありませんでした。HI。

【4/26】
 この日、JH3TXRはV63AO局とQSOできました。こちらの進行状況を流しておきました。やっぱり夏ごろは日本に
帰っておられるようでした。

【4月下旬】
 JE3QBGが英文証明申請を行いました。

【5月初旬】
 昨年のFCCの免許が切れるので、FCCに相互運用協定の免許申請をしました。
(KH2に寄るのであったほうが便利ですから。)

【5月下旬】
 現地からの申請書の返事が来ないので、適当書いて無理やり申請書を送りつけようという強引な方法で進めることに
しました。昨年の5W1の申請書を参考にと思いましたが、5W1GPさん達に全面的にまかせていたのでどんな申請書
だったかだれも見たことがありませんでした。また、いくらなんでも英文証明もなしで出来ないので、とりあえず
英文証明の到着を待つことにしました。

【6/12】
 免許の問題は全く解決していませんが、ホテルもまだ手配していませんでした。どこがいいのかわかりませんので、
JA7AB局に教えてもらったロケーションのいい日本人の経営するポナペサウスパークホテルに決定しました。早速、JK3DEVが
このホテルの東京の連絡先に電話して予約をしました。ここで、ついでに無線の免許の事を聞きましたいたが、
予想どおりわかるはありません。そのかわり、ミクロネシア協会に聞いてくれといわれ電話番号を教えてもらいました。
このころ英文証明が着きはじめました。

【6/13】
 JH3TXRが東京のミクロネシア協会に電話して免許の件を聞きましたが、ここでもやっぱりわからないとの返事でした。
さらに、大使館にきいてくれと言われ電話番号を教えてもらいました。(たらいまわしにされてしまった。)

【6/14】
 そこで、JE3QBGがミクロネシア連邦大使館に電話しました。電話を取った女性が答えてくれました。それによると
2年ほど前からアマチュア無線の免許は特別な場合のほかは出していないとのことでした。(どういうのが特別な
場合になるのかよくわかりませんが)JA7AB局のことも知っていたようで、特別に免許されたらしいとの話し
でした。一応、本国のTELECOMMUNICATIONのMR.AKINAGAの連絡先を聞いておいたようです。しかし、この
MR.AKINAGAが日本語が話せるかどうかは定かではありませんでした。

【6/16】
 V63は免許が予想に反して難しそうなので、ほぼ諦めました。しかし、せっかくみんな休みとったのだからと、
とりあえず行き先の変更を検討しました。FCCの免許もありますし、安い所でサイパン(KH0)に変更をしようという事に
なりました。

【6/18】
 全員があきらめて飛行機をキャンセルしようとしていた時、JE3QBGは仕事の合間を見計らて(?)、JK3DEV宅から
ポナペに電話しました。相手は大使館で教えてもらったテレコムのマキナガさんです。日本人のようでした。
アキナガさんの話では、免許はもらえるはずだから申請書を請求すればよく、申請料はいらないとのことでした。
申請先はJA7AB局に聞いていた所と同じ様な、違う様な所でした。MR. LUKNER WEIRBACHERさんという人でした。
また、アキナガさんの所へ「運用したいから申請書を送って欲しい」旨の手紙を送れば、WEIRBACHERさんに
直接話をしてあげるとも、言っていただきました。急ぐならFAXで送ってくれてもOKとのことでした。免許証も
日本に送ってもらえるのではないかとのこと。JA7AB局も3回ほど来ているが全く問題はないとのことでした。
やはりいろんな人に話を聞くのが良いようです。やはり現地の人がベストです。完全に諦めていたのに、情勢は
劇的に変化しました。

【6/21】
 FCCの免許が各自に着き始めました。

【6/22】
 JE3QBGがアキナガさんに手紙を送りました。JK3DEVがアキナガさんに申請用紙請求の書類をFAXし、同時にKDDでだめ押しを
していました。
 JF3LGCからのINFOで14.206MHzにV6/JJ1TZKという局がでてました。(JJ1TZK/V6ではありません。)QTHはポナペの
ようでした。JH3TXRはQSOできませんでしたが、(要するにJF3LGCとのパイルに負けてとまった)JF3LGCがいろいろ
質問してくれました。それによると、向こうの電監にいったら正式にこのコールをくれたそうです。そのあと、
JA7AB局(V63AV)もQSOされていましたようです。ということで、突然,行ったら行ったで、なんなと免許は
貰えそうな感じがありました。

【6月下旬】
 JK3DEVが現地が問い合せたところ、現地の事務担当が近くの島に行ったが、船が故障の模様て帰ってこないとの
こと。別の人に申請用紙をきいたがどうもわからない様子。ですから、免許の申請用紙の確認はとれませんでした。
(やっぱり、のんびりした国です。)
 また、JR3OFXのパワーでナガラ電子から3エレトライバンダを借りられる話がつきました。(JR3OFXらが8Q7に持って行った
物です。)
 このころは、JARL京都支部大会がの準備が忙しいので、詳しくは支部大会が終ってからとして、一時中断
しました。

【7/1】
 飛行機のキャンセルのリミットになってきたので、最終の参加者の確認。結局、JH3TXR,JR3KIB,JR3OFX,JE3QBG,JK3DEVの
5局となりました。(児玉さんちのサッちゃんもゆうき君もなしです。)

【7/4】
 先日、V6/JJ1TZKでQRVしていたJJ1TZKがどうやらV63JAのコールサインを取得したようです。けど、こんないいコールが
空いていたんですね。

【7/5】
 JK3DEVがポナペのアキナガさんに申請用紙を送っていただけたか問い合わせのKDDをしていましたが、多忙のようで
なかなか連絡がとれませんでした。

【7/7】
 アキナガさんから申請用紙がJE3QBGに届きました。英語で細かい字でゴチャゴチャ書いてあるので、JE3QBGは辞書を
片手にがんばってました。コールサインはV63AA-ZZで使用していないものなら、発行してもらえるそうです。

【7/9】
 JK3DEV宅でミィーティングおよび申請書作成・サイン会。その後すぐに倉庫からアキナガさんにFAXしました。この時、
各自が希望するコールも書いておきました。
 コールサインの希望はJH3TXRはホームコールから、JR3KIBはインシャルから、その他は5W1と同じサファックスとしました。

【7/10】
JK3DEVがアキナガさんにTELしたところ、すでにFAXを電監へ持っていってくださって
いました。(アキナガ・パワーに感謝!!)

【7/12】
 JK3DEVが、ポナペのアキナガさんにKDDしました。電監のルクナー氏は休みを取っているということでした。しかし、
アキナガパワーは絶大で上官の運輸長官に頼んだのですぐに免許が降りそうとの事でした。ついでにポナペでの
レンタカーの手配もたのんでしまいました。
 また、JK3DEVはグアムでのレンタカーも予約しました。去年はハワイのレンタカーを借りる日を間違ってましたが、
今回は日付変更線を越えないのでだいじょうぶでしょう。グアムのホテルも予約がとれました。

【7/16】
 現地のアキナガさんは出張で、以後は弟さんが現地の連絡係をしていただくことになりました。

【7/19】
 JR3OFXとJK3DEVがナガラ電子に3エレトライバンダを借りに行きました。さらに、JA3OIN宅を物色し、いろいろ
借りてきました。今回は網野の移動とN7DUUのペディがかさなってOIN倉庫はカラッポになったそうです。

【7/20】
 JK3DEVが、ポナペのアキナガさんの弟さんにKDDしたところ、本日に免許が交付される予定とのことでした。
しかしながら土地がら来週になるかもしれないとのことでした。もう郵送は間にあわないので、弟さんが
受け取ってJK3DEV宅にFAXいただけることになりました。そのまま免許書は保管していただいて現地で
うけとるということでお願いしました。結局、この日はFAXがとどきませんでした。

【7/21】
 本日もFAXがきてません。コールの決定は来週です。

【7/22】
 JK3DEV宅でもっていく7MHz用と24MHz用のダイポールアンテナを作りました。7MHz用と24MHz用。その他、設営の計画を
たて、コネクタなど不足分の手配しました。

【7/25】
 ついにV63の免許がきました。(正確には免許のFAXが)全員、第1希望のコールでした。しかし、申請から
免許まで2週間とは考えてみたら日本より早い!!

【7/26】
 JK3DEV宅でミィーティングを行いました。うちあわせ、同軸ケーブルの加工、保険の申し込みをしました。さらに
YAESUさんからもらったTシャツが配られました。

【7/28】
 昨年と同様、吉井倉庫で結成会宴会・荷物の割りふり・最終のもちもの確認。思っていたより荷物は
少なそうに思いました。
 今回のペディ用にTシャツをつくりましたが、Tシャッの「PEDITION」のつづりがまちがっていました。(JK3DEVの
チョンボです。)帰りのグアムからの飛行機だけがどうしても取れませんでしたが、このころやっととれました。
これで飛行機はすべて予約OKとなりました。

【7/29】
 JE3QBGがJH3QNH宅へFL7000をとりにいったところ、YAESUからとりよせた、FL7000とFT757の接続ケーブルが
まちがっていることがわかりました。再び、ケーブルを手配しました。完璧だと思っていたのに寸前で色々あります。

【7/31】
 JI3NTSの努力でとれた航空券を入手。往復\176800なり。

【8/1】
 ついに出発の前日となってしまった。FL7000のケーブルも無事とどき、FT757のWARCバンド改造も終りました。
みなさん夜遅くまで用意をしていたようでした。ただ、次の日の出発は夕方なので、余裕はありますが。

【7/28】
 昨年と同様、JK3DEV宅で出発前の結成会宴会を行いました。目的は荷物の割りふり・最終のもちもの
確認です。思っていたより荷物は少なそうに思いました。(全員のスーツケースに余裕ではいったので、この時は
そう思ったのですが・・・。)
 今年もペディ用にTシャツを作りましたが、Tシャッの「PEDITION」のつづりがまちがっていました。(JK3DEVの
チョンボです。)
 さらに、帰りのグアムからJAまでの飛行機だけがまだ取れてませんでしたが、やっととれました。
(ほんまのぎりぎりです。)これで飛行機はすべて予約OKとなりました。

【7/29】
 JE3QBGがJH3QNH宅へFL7000を取りにいったところ、YAESUから取り寄せとた、FL7000とFT757の接続ケーブルが
まちがっていることがわかりました。再び、ケーブルを手配しました。完璧だと思っていたのに寸前でいろいろ
あります。

【7/31】
 JI3NTSの努力でとれた航空券が入手できました。往復\176800です。今年は全部エコノミーです。

【8/1】
 ついに出発の前日となってしままいました。FL7000のケーブルも無事とどき、FT757のWARCバンド改造も終り
ました。みなさん夜遅くまで用意をしていたようでした。

【8/2(1日目)】
 夕方の飛行機でGUAM経由でV63へ。前回と違い夕方出発なので当日も用意ができて楽でした。JE3QBGは
車の国際免許をとりにいったり、JH3TXRは追加のおみやげを買いに走ったり、当日いろいろとやり残した事が
出来ました。
 飛行場へはJF3LGCがJR3OFX,J3QBG,JK3DEVと荷物を乗せていきました。JH3TXR,JR3KIBとは空港で待合せです。
 荷物はなんとかスーツケースにおさまったので安心していたのですが、各自のカバンの重さを計ってみると、結構、
重たそうです。普通、飛行機の荷物の重量制限は一人20Kgときいていたのですが、どう考えても無理なよう
でした。(この計算でいくと5人合計でで100Kgまで)だって、みんなリグ・電源・同軸など重たい物が
スーツケースにつまっているので、20Kg以上になります。さらに、おまけにリニアとANTですから大変です。当日になって
この事に気ずきました。空港でどうしょうか悩みましたが、ダメもと精神でいってしまえと登乗手続きの
カウンタに行ったのでした。そこで計ってみると荷物の合計がなんと190Kgもあります。しかし、カウンタの
おにいさんは何もいわず、荷物を受け取ってくれました。わけがわからんので、聞いてみたところ太平洋路線に
かぎって、荷物の制限は重さでなく一人2ケまでということでした。どうりで、カウンタのおにいさんは荷物は
何個ですか?としつこく聞いていた訳です。これなら、もう1台リニアをもってくればよかった・・・・、
とその時おもったのでした。
(写真1)大阪からグアムへの飛行機内にて。  飛行機はサイパン経由でグアム行きです。ほぼ夜中でした。
ちょうど、台風10号がきていたので少し揺れてました。そこは、さすがはJALです、台風を迂回して
とんでました。しかし、グアムの着陸で1度失敗したようです。ほとんど滑走路の上で着陸する寸前で機首を
ぐっとあげて、やりなおし。(こんな事もあるんですね。)といことで、少し到着は遅れてましたが、グアムに着きました。
 次にポナペ行きにのりかえますが、航空会社がちがうのでトランジットでも荷物を受取りアメリカに一度入国しな
ければなりません。入国手続きでのJK3DEVの会話。
 YL 「とれくらい滞在しますか?」
 JK3DEV 「ONLY 5-HOURS.」
 数時間なのでホテルもとらず空港で時間をつぶして、明け方の飛行機でポナペへ。最初はJR3OFXはゆうきくんを
連れて行く予定で、予約をいれてました。しかし、グアムからポナペまで、このゆうきくんの予約がキャンセルされて
いなかったようで、カウンタのおにいさんは言いました。
 「HOW MANY KODAMA?」
 グアムでJH3TXR,JE3QBGの機内持ち込みのカバンの中の無線機が手荷物検査でひっかかり調べられました。その
チェックのお兄ちゃんがいいました。  HE 「おまえら似てるけど兄弟か?」
 JE3QBG 「ちがいます。友達です。」
 HE 「そうかよう似てるなぁ」
    (私たちそんなに似てますか?)

【8/3(2日目)】
 グアムから夜明けに飛びたったポナペへの飛行機は途中トラックにおります。機種は727。(こんなん日本ではもう
飛んでません。)よーくみてたら滑走路の端ぎりぎりで止まってます。(すぐ向こうは海でした。)滑走路の
長さもぎりぎりなのでしょう。さらに、飛行機も古く、離陸の時に加速が弱いように思います。(乗ってる方も
命がけです。)
 予定より遅れて昼過ぎにポナペに到着です。空港は2,3年前にできた新しいもので、きれいです。ただし、
売店、土産物屋などありません。税関では鞄を全部チェックされ、無線機の説明をしていました。しかし、途中で
免許のコピーをみせたらフリーパスでした。(水戸黄門の「いんろう」のようなもの??)

v63001.jpg (21338 バイト)
ポナペ空港前にて  
空港にはホテルの日本人のマネージャーが迎えにきてくれていました。スガイさんといいます。我々が滞在中はいろいろ
お世話になりました。空港で予約してあったレンタカーをかりてホテルへ向かいました。
 ポナペの街は昨年のサモアとにてますが、ちょっとちがいます。5W1はニュージーランドが後ろにいましたが、V63の後ろに
いるのはU.S.Aです。やっぱり、「親方星条旗」です。文明は5W1より発達しています。(昭和30年頃の日本
ぐらい???。)街を歩いている人はゴムゾウリをはいています。(サモアは裸足)街にはレンタルビデオ屋もあります。
その隣はファミコンのおいてあるゲームセンターでした。それもクーラーのきいた・・・。5W1ではこんなんがよう走ってるなぁ
というような車が多かったのですが、V63では結構いい車が走ってました。
 時期的にダイビングにきている日本人とたくさん合いました。日本人が経営している店というのも結構あります。
店に入ると日本製品があふれています。(かっぱえびせん、おやつはカール、そうめん、しょうゆ、
アサヒスーパードライ、・・・)おみやげにそうめんを持っていったのは、あて外れでたいしたことなかったかもしれません。
けれどさすがに「そうめんの濃縮のつゆ」まではなかったようですが。
 戦争前は日本の占領下にあっただけに、ODAのように短期的に来ているのではなく昔から住んでいる日本人の方も
多く、また現地の人で日本語はなせる人も多いようです。
 また、空港やホテルなどにはカード式の電話がおいてあります。テレホンカードは日本とおなじ形です。ただ、磁気の
フォーマットがちがうとかでJAでは使えないようです。(ラジオライフに書いてあった。)ホテルには「テレカ取り扱い店」という
日本語の看板があがっています。ミクロネシア連峰の4つの島をデザインしたテレカで4枚で一つの絵になります。(4枚1セットで
70$だったと思う) 我々がとまったサウスパークホテルホテルはコロニアというポナペの政治・経済・文化の中心の街のはずれの
高台にあります。ホテルの裏からは海が見え、ここからはJA方向のロケーションは抜群です。ここからは有名な山「ソーケスロック」が
見えます。(山というか山の上に岩がとびでているといった表現が正しいかもしれません。V63AOさんのカードの写真
です。)中庭とホテル前の庭にアンテナが張れます。部屋は全部で15室ほどあり横には新しく増築中でした。(本当は
今年の春に完成の予定だったそうですが)ただ、5W1の時のように貸し切りとはいきませんでした。今年のホテルは
お湯のでるシャワー、クーラー付き。快適に無線ができました。ただし、キッチンがないので自炊はできませんし、冷蔵庫も
ないのでビールが冷やせません。これが我々にとってビールが冷やせないというのが一番の問題でした。スガイさんに
クーラーボックスを貸してもらうことができビールだけは常にきらさなかったのでした。(帰ってから、とってきた写真を
みてるとほとんどバドワイザーをもって写ってます。)このホテルは東京の歯医者さんがオーナーで、現地にはいません
でした。そういえば、JK3DEVが東京のオフィスにホテルの予約の電話したら「何とか医院です」と返事があったそうですが。
 部屋も3部屋借りることができ、中庭に3エレをあげ一番近い部屋をメインシャック(FT757+リニア)とし一番はなれている
部屋をサブシャック(TS680,50MHz)としました。
v63005.jpg (16290 バイト)サブシャックの50MHzのアンテナ
我々がホテルに着いてすぐに行動開始です。ここで新しい事実が判明しました。今まで謎の人物であったアキナガさん
というのは4人兄弟でそれぞれ、テレコム(日本のNTT)、食堂、ブティック、レンタカーを経営しているのでした。PCR
というチェーン店です。(我々のレンタカーもここで借りました。ちなみに、後から解ったことですが、アキナガファミリーは全部で
29人おられるそうです。)まず、昼ごはんを食べにアキナガレストランへ。ここは日本食屋さんです。メニューを見ますと、
すし、親子どんぶり、シューマイ、ギョーザなどがありました。壁には「キッコーマン」という提灯がかかっています。いきなり、
「親子どんぶり」と「ぎょうざ」を食べてました。まったく日本と変らない味でした。
次は無線の免許を受取にテレコムのオフィスまでアキナガさんをたずねにいきました。我々の到着が遅れた場合、免許が
間に合わなかったらいけないので、お役所から免許をアキナガさんに受け取ってもらっていました。
免許を手にしたので堂々と運用できます。いそいでホテルに帰って、アンテナ設営です。この日のうちに全部あげるのは
無理なので、ともかく3エレトライバンダだけでもやろうということで、始めました。とりあえず、アンテナは組めましたが
SWRがさがらない。よくみるとエレメントの組み立てがむちゃくちゃです。(コイルの向きが逆になってます。)犯人は私
です。なんとか直して3エレは完成しました。
v63002.jpg (25514 バイト)
3エレトライバンダアンテナ組立中v63003.jpg (24740 バイト)3エレトライバンダのできあがり
 第1声はV63IKのテスト電波で。我々の電波を聞こうとずっとワッチしていたJK3DGXと1stQSOが成立しました。(昨年の
JN3RBEさんのようにずっと待っていたとか。ごくろうさま。)直後にJF3LGCさんとQSO。さらにJF3LGCのおとうさん
JG3CZJさんとQSO。全員がこの3局とQSOしました。JAのメンバーはこれから網野にいくとの事でした。
 ここから、JAとヨーロッパのパイルがはじまるのでした。しかし、近くの部屋からTVIのクレーム発生。どうもポータブルTVを
もちこんでいるようです。しかたないので、ベアフットで運用します。しかし、こんなとこまで来てTVIに悩まされるとは
おもわなかった。(ハイパスフィルタなんかもってきてないぞー!!)
 夜は暗やみの中、50MHzのHB9CVを建てました。まわりに、木が多くサブシャックの屋根をちょっ越す程度の高さでした。
とりあえず、ビーコンの発射を開始しました。
v63004.jpg (21197 バイト)
メインシャックにてV63TX運用中

【8/4(3日目)】
 V63にはJAからダイビングに来ている人も多く、V63に観光ツアー(主に、マリンスポーツ)をやっている日本の会社があり
ました。それは PHOENIX OF MICRONESIA といい、もともと日本では写真の会社だそうで、社長がV63が気に入って
ここに会社をつくったそうです。写真撮影、ダイビングのツアー、観光ツアーなどをてがけているようです。我々はここの
色々なツアーに便乗しました。前日、アンテナを組み立てている時にここのスタッフの方が来られましたので、お願いして
おきました。
 午前中は少しQRVして、7MHzダイポールをあげはじめたが、時間ぎれ。昼からモーターボートで観光ツアーです。これがまた
速い速い。(YAMAHAのエンジン を2機積んでます。)なお、ボートにはYAESUの無線機がついていました。お客さんは
我々を含めて計7人でした。しかし、このボートに乗るなりビールを飲んでいたのは私達だけです。
 ボートで1時間ほど行ったところで、ボートから降りて、さらにジャングルの中を10分ほど歩きます。(まるで、
川口浩の探険隊です。)着いた所が、ケプロイの滝。ここで水につかって、はしゃいでいました。その後、ここで
お弁当です。(このツアーにセットとなってます。)ここのお弁当は日本人向けでした。メンタイコ、タクワンがはいってます。
(ホカ弁のようなものです。)
さらにボートでナンマドール遺跡を見学しました。ポナペの観光名所の一つです。巨大な石を積み上げた城跡です。
11世紀ころつくられたシャーウテール王朝の要塞だそうです。
V63IJはこのツアーに一緒に行ったWのおじさんとおばさんと友達になっています。QSLカードを鞄から取り出し
無線をするために京都から来た事、去年サモアに行った事などを説明しています。5W1の全員の写真のQSLでこれは私、
これは彼と説明をしはじめます。V63INはこの時、昨年の写真と同じあのハデなパンツをはいていたのでした。
V63INは写真を指さしいいました。
 "SAME PANTS!!"
 また、無線をしに来たというのを説明するのに、でましたJA英語。
 "I AM LICENSE"
 さらに、V63IJは鞄からハンディ機、浮袋と次々とりだしました。(まるで、ドラエモンのポケットです。)
 帰りにすこし泳ぎたいといったので、無理やり途中の島で止めてもらい海につかったのでした。
 フェニックスのワンボックスカーで港からホテルまでおくってもらいます。車に乗ろうとしたらドアがレールからはずれてしまい
ました。しかたないのでオープンカー(サイドが)で走ってました。
 帰りにこのフェニックスの事務所を訪れ、絵葉書を購入しました。(みなさんの所に送った物です。)さすがに、本職は
写真屋さんです。FBなのがいっぱいありました。この絵葉書はここのオリジナルです。
 ホテルに帰って、夕方から、スコールのなかで7MHzのDPを設営しました。
 夕日を見に「サンセットビューバー」という所に行きました。バートいっても普通の屋根だけの小屋に机と椅子がある
だけ。眺めはいいのでとりあえず合格です。普通、夕日をみるというと、やっぱり静かな雰囲気を想像しますが、
この店はディスコミュージックをガンガンならしています。この島ではどこでも、音楽をガンガンでならしていますが、国民性
なのでしょうか。店員さんは現地の若いおねえさんです。(FB、FB)
v63006.jpg (20260 バイト)
全員そろってサンセットビューバーで
 夜は、現地の人が主催のローカルパーティが行われていたので参加させてもらいました。我々はお客さんということで、
花の冠をもらいます。この冠をくれたおねえさんと写真を撮ろうと、V63INが「EXCUSE ME!!」と声をかけたら
「私、日本人です。」とかえってきました。フェニックスのスタッフの人でしたが、毎日、海に出てるだけに黒い黒い。
完全にポナペに同化しているようで、現地の人とまちがわれても不思議ではありません。
 我々だけだけでなく、日本のどっかの大学の先生が遺跡の調査とかで、学生さん(YL)をつれたグループと
一緒でした。
 料理はサモアと同様にブタの丸焼きやパンの実などがでていました。料理は日本人により伝えられたものもある
ようで、ほとんど日本で食べる味です。なんと餅もありました。
 さらに、シャカオという麻薬(?)みたいなものも飲みました。サモアでいうカバです。そんなに旨いものではありま
せんが、舌がピリピリしてきます。
 現地の人がGBMを演奏してくれます。よーく聞いていますと、日本語の歌です。「ももたろさん、ももたろ
さん・・・・」しかし、昔の日本人がつたえたようで、「やりませほ、やりませほ・・」と文語調で歌ってました。
 ここで、今回のヒットソング「ともだちソング」ほおぼえてきました。酔っ払って車を運転しながら大合唱して
ました。(来年の新年会で歌いましょう。)この国では酔っ払って車を運転してもよぽどの運転をしないかぎり
つかまらないそうです。V63IK,V63INは酔っ払って運転する快感を味わってました。
帰って、再び運用開始。この日の夜は網野も宴会中。みんな酔っ払ってこっちのコールもわからんと呼んでくる。
(ねっ、JA3RCTさん)まあ、こっちもかなり飲んで無線してたのでおあいこですけど。いつものYAQ,VUメンバーが
順番によんできてくれます。パイルになっていたのに、ひんしゅくでしたでしょうね。今年は、「オンリー京都」
のみならず、「オンリー網野」といってましたが、ヨーロッパが呼んできます。しかたがないでしょうけど。
 次から次へとでてくるでてくる網野から。なんといっても、今回のヒットは自称網野の町長さんとその
自称町長さん夫人とQSOできたことでしょう。町長さんにいたったは、パイルのまっただなかにもかかわらず、
「網野は京都の北部、日本海に面し・・・・」と観光のPRを長々とはじめます。横にあった(と思う)
8J90XPO/3ともQSOできました。サブシャックではV63IKが7MHzをやっていたようです。

【8/5(4日目)】
 ポナペの本島には浜がないようで、泳ぐには別の島にいかなければなりません。そこで、またまたフェニックスの
ダイビングのツアーに便乗して、近くの海に出掛けます。
 船つき場の横に発電所がありました。実はこの発電所は船の上にあります。発電機を運んで来ても発電機は
おろさずそのまま船を発電所にしてしまうというものでした。まぁなんと大胆な発想でしょう。(というか、
ずぼらなんでしょう)
 昨日のツアーとちがい今回は、総勢40人、ボート3台のツアーです。出発寸前に我々のボートにはクーラーボックスがのって
いないとクレームをつけ、この日もずっとビールを飲んでました。このボートは一番ちいさがったですが、一番はやい
のがあたったようです。
 我々はダイビングの用意していませんから、ちょっともぐったり浜辺で寝てたりしていました。
 現地の人はボートが止まってっている時は音楽なしではいられない。ガンガンに音楽をならしているのでした。
なんと、カセットは爆風スランプでした。
 ホテルにかえって、リクエストが多かった18MHz,24MHzのDPの設営をやっとはじめました。
 夕食はアキナガさんの食堂に「すし」を食べに行きました。
 食事のあとの2次会はディスゴバー??です。ここの店員のおねえさんといっしょにおどりまくってました。
おつまみに「ぼんちあげが」あったので「ボンチアゲ」といったが通じない。「RICE SNACK」というそうでした。
2次会の場所にはビリヤードがなかったので、3次会はビリヤードのあるバーに行こうということになりました。
ここには、この島でビリヤードはNO.1と自負するおっちゃんがいたのでした。ビリヤードもコインをいれなければ玉が
でてこない。(日本よりすすんでる??)
 帰ってやっぱり無線をします。(感心するほど元気です。)21,14MHzとやってましたが夜中になるとだいぶ
コンディションが落ちてきます。JAやDXからのパイルがおさまり、V63TXが14MHzでCQだしていたがあまり応答なし。
ここでJAの1エリアの局が、ヨーロッパのDXネットにチェックインしてください、とリクエストがありました。どんなもんかわかりま
せんが、とりあえずいってみようとその局に連れらていってみました。Uゾーンのオペがネットコントロールやっていて、
私とQSOしたい人を順番にまわしてくれます。パイルはネットコントトローラーがさばいてくれるし、いちいちQSLマネージャー
いわなくていいし、ちょうど夜明け前でこっちも頭がボーッとしかけていたので助かりました。なんせ、
相手のコールとレポートのみとればいいのですから楽ちんです。(ただ、効率は悪いですけど)2時間ほどで、
ヨーロッパばっかり200局ほどできました。明日もでてこいというリクエストがありましたがどうなるかよう
わからんとファイナルにしました。1エリアの局も最後までつきあってくれました。今までリストQSOのリストにのることは
あっても自分のリストとってもらうなんてことは初めてでした。HI。この日は徹夜で無線してました。
今回の珍QSO集をまとめてみます。

その1
 JA 「8J90XPO」
 V63 「8J90XPO/3ですか?」
 JA 「ちがいます花博会場の本物です。」
 (じゃあ、8J90XPO/3はいったい何なのでしょう。)

その2
 網野 「こちらは8J90XPO/3 59」
 V63  「ありがとう。QSLは適当に処理してください。」

その3
 JN3RBEとQSOした時、V63IJが横にいたのでサービス。そのあとV63TXがCQだしていたらイタリアの局がよんできた。
 DX  「おまえのXYLともQSOしたい。」
 V63TX 「???」
V63IJさんはV63TXのXYLとまちがわれたのでした。他にもV63IJさんの前後にでてきた人のXYLにされて
 いました。特にV63IKなんかコールが続きなもんでなおさらです。

その4
 イタリアの局とQSOした時
 DX 「昨日、V63INとQSOしたとき、QSLマネージャーはJA3HINといっていたが、おまえは
    JA3OINといっている。どっちが正しいんだ?」
 (QSLマネージャーは正確に伝えましょう。)

その5
 DX 「ミッキーマウス!! ミッキーマウス!!」
 V63 「????」
 DX 「ミッキーマウス コーリング!!」
  (マリンタインモー゙ルといえばいいのに。)
 これはVUのMMの局でた。おまけにマネジャーのQTHをいえという。おぼえてないというと、今度、日本に寄った時
JARLにほりこんでおくといってました。

その6
V63IN 「QSLマネージャーはJA3OINです。」
JA  「あなたがJA3OINさんですか?」
   (JA3OINのINからコールを選んだと思われてたようです。V63TXもなぜかOINさんですかと言われたことが
    ありましたが、OINは日本にいますと答えました。)
その7
 V63INとJAのQSOで。
 JA  「V63INって、西村さんのコールとちがうんですか?」
   (V63AO・西村さんのコールはexKC6INです。KC6からV63に変った時、サフィックスそのままで変更できたようで
    こんな質問がでてきます。たとえば、KC6JCはV63JCといったように変更されています。)
その8
 JA  「V63は3局目ですが、いったい何局いるのですか?」
   (ごもっともな質問です。やってもやってもV63がでてくるのですから。けど昨年のことを思ったら
    すくないですよねぇ。)
その9
 18MHzでCQだしてたが応答ない。ダイヤルをまわしてるとHLがパイルになっていたので、JAにまざっていっしょに
呼んだ。(1発でとってもらえましたよ)
 向こうのQSLマネージヤーもJAの局。QSOを終ろうとすると、彼のQSLマネージャーが私とQSOしたいといっていると
いうので、QSLマネージャーの5エリアの局とQSO。そのあとがたいへんです。さっきまでのHLのパイルがこっちのバイルに
なっているではありませんか。QSYして向こうのお客さんを横取りしていったのでした。
 (けど、QSLマネージャーというのは自分の担当の局のQSOをずっときいているものなのでしょうか?)

その10
 朝はやく、JI3NTSとV63TXのQSO。
JI3NTS 「今から仕事行ってきまーーす」
V63TX 「今から無線してあそんでまーーす。」

その11
 はじめてテスト電波をだした時、V63IJとJK3DGXの会話。
JK3DGX 「児玉さん、琵琶台と同じくらい強くきています。」
 (DX−QSOと思えないようなローカルな会話です。その他、JK3DEVさんのシャレードがどうとかとか山科周辺のもっとローカルな
会話も登場していました。)

その12
 V63IKがフランスの局とQSO。「メルシーボクゥ」といったもんだから向こうからフランス語でペラペラ話しかけられてパニックになっていた
のでした。(知ったかぶりはやめましょう。さすが、そのあとドイツの局に対しては「グテンタグ」とは言わんかったみたいです。)

その13
 24MHzでQSOした直後に同じ局と18MHzでQSOした時です。どっちのバンドのほうがコンディションがいいか聞いてみました。
V63TX 「18MHzと24MHzとどっちが強いですか?」
JA  「どちらも59です。」
V63TX 「すみません。」
(なんかレポートくれればいいのに。けど、すぐにすんませんと言う自分も悲しい。)

その14
V63TXの21MHzのパイルのなかで、JH3QNHが呼んできた。
JH3QNH「28MHzやってへんし28MHz行こう!!」
V63TX 「了解。QSYします。」
JA  「あのー、ここで待ってたらいいのでしょうか?」
V63TX 「すみません、すぐもどってきます。」
(まー、なんと自分勝手なペディでしょう。)

【8/6(5日目)】
 この日は観光の予定はなし。一日中雨でしたのでちょうどよかったです。先日、JA7AB局とQSOした時に
QSPがありましたが、現地の常駐局であるV63JC局の訪問がありました。神父さんで校長先生です。430MHzの
ハンディでを持ってもらいQSOし、その場でQSLカードを書いていただきました。V63JCの学校の事などの話をきかせて
いただいて、我々のメインシャック・サブシャックを見学、我々のQRVする周波数をメモして帰られました。
(後で21MHzで呼んできていただけました。)
v63007.jpg (22845 バイト)
常駐局で神父さんのV63JCの訪問
 電監を表敬訪問しようと行ってみました。お世話になった電監のおっちゃんは留守でしたので、後で再び
行きましたが結局会えませんでした。この国の官庁街も最近建てたビルのようでした。
 3エレに28MHzがどうもうまく乗りません。とりあえず、21,14MHzは使えているので、明日調整することにした。
 昨日、V63TXが参加したヨローロッパのDXネットの話をしていたら、V63INが今晩やってみたいということになりました。
ただ、どうしたらいいのかわからんのでJF3LGCが日本から付き添っていました。向こうはV63TXが昨日に続き
チエックインしてきたと思ってたようでした。
「今日はTXではなくINです。」とすかさず訂正し、100局ほどサービスしていました。
 サブシャックでV63IKがシャレでなんとなく50MHzで「CQCQこちらは・・・」と日本語でCQだしていたらJAから呼んで
きました。50MHzでJAがOPENしているのに気がつきませんでした。当然すぐにパイルになっています。V63IK、V63IJが
QSOしていました。V63IKの6mのおなじみさんからコールがあります。JG3RGGはいま会社から家に向かっているとの
情報もはいってきまた。
v63008.jpg (20704 バイト)
サブシャックでV63IK運用中

【8/7(6日目)】
 朝起きて3エレのアンテナをよーくみると同軸がたれさがっています。降してみると、フェーズラインがショートしています。
どうりで28MHzは飛ばなかったはずです。(けど、こんなんでほかのバントもよく使えてましたね。)すぐに
修理しました。その後、本格的に28MHzをサービスしはじめました。
 朝のうちは再び電監に訪問行ったり、買い物に行ったりしてました。
 V63INがホテルから電話をしようとすると、テレホンIがはいっていることに気がつきました。
 街をぶらぶらして雑貨屋にはいると、インスタントラーメンを売っていました。その中でも「SAPPORO ICHIBAN」が
あったので、買ってかえってきました。袋ラーメンしかなく、現地にはキッチンがないので日本まで持って帰ってきました。
これは海外用で日本とちがい3つの味(BEEF,CHIKEN,SHRIMP)があります。BEEFは、ちょっとこってりした味でした。
CHIKENとSHRINPがあっさりしています。しかし、どれも日本のオリジナルとは味がちがいます。(袋には「MADE IN USA」
とかいてあります。)また、ラーメンの袋には「JAPAN'S NO1 SELLING BRAND」と書いてありましたが、日本でいちばん
売れているのはチキンラーメンのような気がするのですが・・・・。さらに、HL製のカップラーメンも現地で食べましたが、
みただけでからそうな(まっかな色のだし)感じでした。(食べたら、本当にからい。キムチ入りです。)
 V63IN,IJ,TAはフェニックスのツアーでマリンジェツト(一人乗りの水上バイク)にチャレンジです。ここでツアーに申し込むと、顔写真入りの
免許をくれます。(フェニックスの事務所で写真をとってくれます。)ただし、JAでは通用しません。自分で運転しなく
ても(一緒に乗っているだけで)免許をくれるのも変です。
 最後の夕食はリッチにと、ビレッジという高級ホテルのレストランで夕日を見ながら食事です。
先日のサンセットビューバーみたいにうるさくなく本当の高級ホテルです。マングローブ(かに)が食べたかったのですが、
あいにく無かったので、ステーキにしました。ここでフェニックスの社長さんと会いマングローブが食べたかったと話をしていると、
明日ホテルに持って行ってあげるよといっていただきました。
 夕食から帰るとV63AO・西村さんの訪問がありました。夜遅くまでFBな話を聞かせてもらいました。その中でV63の
情報をいくつか紹介しましょう。

その1
    V63ではIRCを交換できないから、SASEはグリーンスタンプでなければいけません。また、USAの切手を貼った封筒を
  いれてくるヤツもいるようですがV63ではUSAの切手は通用しません。

その2
  V6/JH3TXRというようなコールでの運用はダメとの事です。このあいだ1エリアの局が運用していたようですが・・。
  以前、これでトラック島から運用した日本人が3日目に逮捕されたとかいう話です。

その3
  V63の免許は1年ですが、30日前までに再免許申請すれば継続できるそうで、JAからの郵送でも受け付けて
  くれるようです。

その4
  我々がもらったのはGENERALですが、これはV63でいちばん上のクラスのようです。話によると2KWまでOKとか。

その5
  V63とWとは相互運用協定が結ばれており、たとえば、KH2/V63TXが運用できるそうです。これが本当なら、
  その4の事実と合わせると、Wに行くときはJAの免許もって行くよりV63の免許もっていったほうがパワーを
  出せるような気がますが・・・。だれか追跡調査してください。
  (帰りにKH2でKH2/V63TXでやろうかという話もありましたが、捕ってJARL除名になっても困りますので
  やめました。)

v63010.jpg (19937 バイト)
V63AO西村OMの訪問
 V63AOさんのアドバイスでWの14MHzのDXネットにV63IJがチェックインしてみました。すぐに大パイルとなりました。(といっても
パイルをさばくのはネットコントローラーですが。)「カズコサン、カズコサン!!」と呼ばれたり、QRMがでてきたらネットコントローラーが、
「KAZUKO'S FREQUENCY」と言って交通整理してくれたり、W0OFXとQSOできたりでV63IJは大満足のようでした。
さらに、変な日本語をしゃべるWの局が出現し、「カズコサン デショ?」と呼んできます。YLがもてるのは全世界共通です。
 その後、V63INと交代し、合計200局ほどWにサービスできたようでした。
 このネット終了後、V63IKが昨日とは別のヨーロッパのネットにチェックインしようとしましたが、この日はネットコントローラーの都合で
中止となったようです。
 ということで、この日の夜はJAにサービスできませんでした。待ってた人ごめんなさい。

【8/8(7日目)】
 28MHzが少ないようで、朝に28MHzをサービスしていました。特にJAとWを中心に。さらに、28MHzではFMをサービスを
しました。普段、29MHzのFMって出たことないので、勝手がわかりません。JAの国内の呼び出し周波数(29.300MHz)で
QSOしていたら、JAの局に怒られました。
 昼前から最後の観光である、ネット文化村でのショーを見学しました。ポナペの伝統的な踊りをみせてくれます。なんと、
おねえさんがトップレスで踊ってくれます。(ただし、この中におばあちゃんもいますが。)ヤシの実をのませて
くれたり、シャカオをつくってのませてくれたり、パンの実を食させてくれたりのコースです。(これで10$は安い!!)
おばちゃんに指名されて踊りの中にはいって幸せそうなV63INが印象的でした。この奥にはナンピルの滝というのも
ありました。他のJAの団体さんが来ていましたが、この団体さんは何かのコンサートできているらしく、一人のおねえさんは
JAPANESE DANCEといい日本舞踊を現地の人踊ってみせてあげてます。また、歌をうたいたいと言って、歌い始め
ます。ここまできたら、どっちがお客さんかわかりません。HI
v63011.jpg (23427 バイト)
ネット文化村のダンスショーで嬉しそうなV63IN。

 ネット文化村から帰ってくると、昨日の約束どおりマングローブが来ました。味もなかなかで量もありました。ビール片手に
宴会が始まりました。
 午後から、ふたたびオペレート。最後のサービスです。18/24のANTから順番に撤収しはじめ、夕方5時ころ完全にQRTと
なりました。すべての撤収完了し、荷物をまとめ、帰る用意ができました。

v63009.jpg (24984 バイト)
アンテナの前で全員で記念撮影

 20:00に空港で荷物をあずけ、食事に出かけます。ここでV63TXのグアムからJAのチケットが切りとられ、寸前で気が
つきました。(あやうく、昨年のJA3UWBになるところでした。)
 食事はおなじみのアキナガさんの食堂で。「CURRY RICE WITH FRIED PORK」とメニューに書いてあったのを注文したら、
「OK、カツカレー」といわました。(それなら最初からメニューにカツカレーと書いておいてくださいよ!!)
 急いで食事をすませ、再び空港へ。フェニックスの人も帰国するので、ここのスタッフも空港に来ていました。昼間、
ネット文化村で一緒だった日本の団体さんも一緒でした。(あの踊って歌ってたおねえさんは、ここでも歌をうたって
ました。ちょっと変な人です。)V63AOさんもわざわざ見送りに来ていただきました。
 我々は、楽しかったポナペを後にしました。

【8/9(8日目)】
 飛行機は少し遅れてKH2へ到着しました。(真夜中です。)KH2の空港で気がついたのですが、JK3DEV,JE3QBGの
スーツケースに貼ってあったシール(サモアやハワイの)がはがされていました。どうも、自然にはがれたのではなくポナペで
とられたようです。そういえば、ポナペ空港で、荷物運搬用のトラックにはシールがいっぱいはってあったなぁ・・・。
 この日はもったいないのでホテルは予約しておらず、レンタカーで24時間営業のレストランのデイニーズに行って夜明けを待つ
ことにしました。夜が明ける頃、日の出を見に店を出ます。
 日の出を見にいった場所はスペイン砦です。高台になっていますし、だれもいません。すがすがしい気持ちで夜明け
をを向かえました。
 次は恋人岬に行きます。まだ、朝早いので日本人の観光客はいません。土産物屋も準備中です。ここも高台に
なってますので、ロケーションは抜群。またまたいつもの病気です。もう少ししたら日本の団体さんが来るので、今のうちに
無線しようと道ばたでスーツケースを開け7MHzのダーイポールを張りだします。発電機はありませんから車のボンネットをあけて
バッテリーから電源をとります。こんな状態も予想してバッリー用との接続用にでっかいワニ口をつけたTS680の電源ケーブルを
準備して来てあります。TS680にアンテナと電源をつなぎ、リグのセッティングOK。21MHzでCQを出すとすぐにJAから応答があり
ます。オペレーターも順番に交代してQSOをはじめました。すると、JA3UWBやJA3RZWよりコールがありました。
(KH2からQRVするって言ってたから探してくれたようです。この人たちも無線が好きですね。)JA3UWBとQSO中に
リグにトラブルが発生です。TS680のパワーが出なくなりました。ファイナルあたりが熱いようです。どうもファイナルのクーリーング
ファンが回っていません。車のクーラーの吹きだし口の前にリグを置き強制空冷です。

kh2001.jpg (18638 バイト)
車のバッテリで運用のKH2/JH3TXR

kh2002.jpg (24845 バイト)kh2003.jpg (16140 バイト)
KH2/JK3DEVの運用中             恋人岬に張った7MHzDP

 そのうち、JAの団体さんがどんどんバスでやってきます。何やっとんねんと冷たい視線をあびせますが、そんな
ことにめげる京都クラブではありません。(こんなんでめげてたら無線やってられません。)
 昼ごはんを食べに行きたいのですが、ぼちぼちですがJAが呼んで来ますのでどうもやめにくい状態です。そこで、
私だけ残って無線することにし、他のメンバーは食べに行きました。(本当はメシより無線の方がいい。)
 しかし、JAの観光客のパイルも終り、土産物屋もかたずけて帰って行くとだんだん人が減ってきます。昼間ですが、
ここはWなんやなぁと思うと、一人でいるとちょっと怖くなってきました。車の中からカギをかけ気をまぎらわす
ためにCQを出してました。みんな帰ってきた時はホッとしました。
 ともかく、こんな状態でKH2からは全員でのべ120局とQSOできました。
 添乗員のJK3DEVによるとKH2の観光地はこの2ケ所くらいだというので、予約していたホテルにチェックインしました。
ホテルはキッチン付の5人部屋です。中庭にはプールもあります。お土産の買い物と夕食の買いだしに出かけます。土産物と
いっても酒・タバコ・チョコレートなどありきたりの土産ですが。(完全に普通の観光客のパターンです。)せっかくホテルに
キッチンがついてるのにと言う事で、夜は自炊でパーティーにしました。
 スーパーで夕食の材料やお土産の買い物をします。みんなでスーパーの中をハンディー機もって走り回ります。ホテルに帰って、
JR3OFX料理長特製のステーキで打ち上げパーティーをしました。次の日は早い(と言うか夜中)ので、早めにお開きでした。

【8/10(9日目)】
 夜中の02:00に起きて空港へ向かいます。KH2を後にして、07:30ころ大阪着です。税関ではスキーケースにはいった
アンテナを「これ何ですか?」と聞かれたので、「パイプです。」と正直に答えたら、調べられました。おっちゃんは
パイプの中まで懐中電灯で覗いてました。(やっぱりグアムからスキーかついでくるのは変ですよねぇ。)
 空港へはJF3LGCのお向かえがありました。

【8月下旬】
 某無線機屋に行ったら、いきなり「売上に寄与してくれてありがとう。」と言われました。よく話を聞いてみると
そこのお客さんの出来事。その人がV63を呼んでも呼んでもとってもらえない。その人は衝動買いで3エレを買った
との事でした。
 各自がとった写真の焼き増しと見せ会いっこ。しかし、去年に比べて無線している写真がほとんどありません。
JE3QBGのカメラには1枚もなかった。そうでしょう、無線している時はみんなで一瞬のスキを狙って取りあいです
から写真などとる余裕なかったんでしょう。さらに、人物の写っている写真のほとんどは手にバドワイザーを持ってま
す。そういえば、ビールきらしたことなかった思います。(YAQの写真はいつもそうです。)
 今年も前回のように写真のQSLを作ります。デザインの選考会です。ポナペのフェニックスさんからオリジナル絵葉書を買って
きたので、この中からも選びます。
 V63IJ,V63IN,V63TAは取って来た写真から風景のものです。V63IK,V63TXはフェニックスさんの写真から女の子の写真を
選びます。(この2人の趣味がでています。HI!)QSLカードは以下のデザインに決定しました。
   V63IJ   V63の夕日
   V63IK   現地の女の子の写真(2人)
   V63IN   ホテルから見たソーケスロック
   V63IJ・IN  5人が揃ってアンテナの前でとった写真。
   V63TA   ナンマドール遺跡
   V63TX   現地の女の子の写真(1人)
 また、JK3DEVのとったビデオもコピーし配布されました。

【9月中旬】
 「クイズ仕事人」というTV番組をみていると、なんとポナペの特集でアキナガさん一家が写ってるではありませんか。
それによると、アキナガファミリーは29人の大家族でした。(お土産は全然たらんかったでしょうね)アキナガ家の歴史・
家系図・家の配置までありよくわかりました。行く前にこのTVやってたら予習になってよかったのに。

【11月初旬】
 遅れていたカードも刷り上がりQSL発行開始です。JA3OINは毎日夜中までかかって処理をしたそうです。
JA3OINがQSL処理している時に気がつい事などをいくつか。

その1 1枚のSASEにカードがいっぱい。
  1枚のSASEにはいってたカードの最高は17枚。これは問題ですね。DXのQSLマネージャーがなげくのもわかります。

その2 QSOリスト入りのSASE
  何枚かのカードとともにQSOしたリスト(全部、コール・バンド・モードが違うというリスト)がはいってたそうです。
  (要するに保険QSOしてないよって言いたかったんだと思います。)

その3 TO RADIO がまちがっている(その1)
  TO RADIOに「JA3OIN/V63」ってかいてあるカード。これは笑いました。

その4 TO RADIO がまちがっている(その2)
  TO RADIOに「J63IK」ってかいてあるカード。今年は「V63INK」って書いてあるのはなかった
  ようですが。 その5 TO RADIO がまちがっている(その3)
  たとえば、V63TXとQSOしているのにV63IKと書いてある。ログをみるとちょっと前はV63TXがオペレートしている。
  オペが変ったのに気がつかなかったのですね。

その6 なんにもデータの記入していないカード 
  TO RADIOのみならずまったくデータもかいてない。全部データしらべても該当なし。なんなんでしょう。

その7 へんなコメント入り
  V63IN宛のSASEでV63IN=JA3OINと思っている様なコメント入りのQSL。さらに、「奥さんの声はなかなか
  奇麗ですねぇ・・・」というコメント付き。(V63IJが奥さんだと思ってるのでしょう。)

その8 時間がJSTで書いてある
  一応、DX局なのでUTCで書いてほしいんですけど・・・。そういえばKH2でQSOしたカードなんかもっとひどく
  半分くらいJSTでした。
その9 JSTからUTCに直すときの計算ミス
  日付の1日ずれ、時間のずれ・・・。JSTからUTCにする時の単なる計算ミス。

その10 データの不備
  144MHzとかいてありますが、144MHzはやっとりません。

その11 こっちのログのミス
  だれかのログは2ページほどまるまるバンドが間違っていたそうです。21MHzとログに書いてあったのですが、
  実は28MHzでした。相手からカードがきたので判明したそうです。すでに発送済の分が数枚あったので追加で
  送ったとか。ただ、そのログの時間  が連続しているのでどこでバンドをQSYしたのか解りません。
  全部カードがきたらわかります。

【12月初旬】
 今回のペディのしめくくりとして、打ち上げ及び精算会を夜中まで盛大にやりました。(JK3RKQさん酔っ払いが
御迷惑をおかけしました。)
 V63AO・西村さんより手紙が来ました。V63IN=KC6INと思っている局が西村さんに送って来たSASEを
転送していただいたのでした。その中には「T77T」なんて言うのもありました。それもグリーンスタンプが2枚も
はいって。普通こんな所はこっちからSASEを送るものなのにと、びっくりしてました。やっぱりヨーロッパから見ると
V63は日本からカリブを呼ぶようなものでしょうか。

【まとめ】
 V63はグアムから3時間。日本からグアムも3時間。合計で6時間。5W1に比べると非常に近いと感じました。ここも
まだまだ自然がいっぱいです。ビールのんで、無線して、海にはいって、やっぱり最高です。
 今回は昨年に比べ準備期間が短く突然行くことにしましたので、行ってからはほとんど問題はなかったのですが、
行くまでが大変でした。また、現地の状況もわからず、いらいらしてました。特に肝心の免許はどうしようもなく、
一時は完全にあきらめていました。(この時はJA-V63はやっぱり遠いと感じました。)しかし、JE3QBGの体当り作戦
がものをいいぎりぎりでなんとかなりました。今回の成功の要因は、全然しらない私たちのためにポナペでアキナガさんが
動いてくださったことが一番大きかったと思います。
 今まで、V63にいった人の話を聞くと免許まで1年近くかかったようでしたが、我々はアキナガさんのおかげて、申請
から発給まで2週間というスピード免許となりました。(日本でJARLの力をしてもこんなに早く免許されることは無い
でしょう。)
 また、夏休みでしたので、飛行機もぎりぎりまで取れず出発の数日前に確定するなど綱わたりの状態でした。
 さらに最近はV63のペディが多いですが、我々はそのラッシュの先陣を切ったかたちとなりめずらしがられパイルを楽しめ
ました。(計画は他のペディに比べいちばん遅かっのですけれど)
 以上のように、今回の我々DXペディは非常にラッキーな部分が多かったと感じております。今回の教訓としては、やはり
DXバケーションは早めに計画をたてるのがいいようです。現地の連絡だけて時間がかかりますし言葉もうまく伝わり
ません。それと、ダメもと精神でやってみるというのが重要です。また、現地に居られる方やすでに行った事の
ある方からいろんな情報を集めるというのもかなり助かります。
 ということで、JA3YAQのペディ第2弾の報告は終りです。今年の夏も第3弾を計画中です。(その前に第2.5弾が・)
 5W1に続きへたな文章を最後まで読んでいただきましてありがとうございました。誤字・脱字などありましたが
お許しください。
 最後になりましたが、我々をバックアップしていただいたり、お世話をいただいた、ミクロネシア政府,テレコムのアキナガさんと
そのファミリー,サウスパークホテルのスガイさん,フェニックスのみなさん,V63AO局,V63JC局,JA7AB局,YAESU無線,日栄無線,ナガラ電子,
JA3YAQメンバー・・・どうもありがとう御座居ました。
                                 (おわり)

(この記事は1990年10月から1991年2月京都クラブ会報No.246-250に掲載されたものです。)


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