**1999年7月**

<<<T88(パラオ、exKC6)>>>

◎ なんでまたパラオなん?

 今年のYAQ新年会の席上では、サイパン(KHφ)へのDXペディが提案されましたが、
私自身は密かに今回のパラオDXペディションを画策していたのでした。人からは
「何でまたパラオなん?」って聞かれることが多いのですが、「美しい海と自然がいっぱいで」
「適当に都会で」「無線ができて」「少しマイナーで」「のんびりできて」という
条件バランスが私にピッタリだということでしょうか。ともあれパラオ行きの青写真は、
1月中頃には描かれていたのでした。
 2月初旬、私の計画をYAQ−MLに投稿しましたところ、早速JH3FJG/早越さんから
参加希望の連絡をいただきました。今回はJR西日本−阪急電鉄の合弁ペディ(?)となりました。

 私自身は93年のYAQによるパラオのペディション以来、毎年免許更新をしています。
93年当時は「KC6LI」でしたが、現在は「T88DX」という非常にFBなコールサインが
発給されています。早越さんも早々に免許申請され、「T88JR」をゲットされました。
 渡航に関する飛行機やホテルの手配は、今回も東京のPIA Japan社を利用しました。
元々はPalau Island Adventuresという現地エージェントの東京事務所なのですが、
同社代表の伊藤さんのフレキシブルな対応が評判で、最近は無線家の利用が増えているようです。
今回のペディションでは、現地の「VIPゲストホテル」に宿泊しました。同ホテルの
オーナーであるジョージさんはT88GNのコールサインを持つアマチュアで、ジョージさんの
アンテナを貸していただく方向で準備を進めました。この辺の事前交渉もPIA Japanを
通じて行いました。現地法人を持つ強みです。
 4月中旬になって、大阪のJA3AQM(T88KS)/佐々木さんから「参加したい。」との
ご連絡をいただきました。最近6mで頑張っておられるそうで、DXを狙って室戸岬まで
移動されるほど熱心な方です。今回のペディションは3人で行うことが決まりました。

【7月20日】
◎ いざ出発!!
 19時過ぎ、関西国際空港行きの特急「はるか」にはT88JRと私の姿がありました。
T88KSはといいますと、この日の午前便(グァム経由のコンチネンタルミクロネシア便)で
既に旅立っていたのでした。なんで別々かと言いますと……T88JRと私はグァム経由の
チケットを取ることができなかったのです。3月中旬にリクエストしていましたから
「大丈夫だろう!」と楽観視していたのですが、出発間際までウェイティング状態。
結局日程は短くなるのですが、日本航空のチャーター便(直行便)を利用することに
なったのです。チャーター便は乗り継ぎがなく便利な反面、機内預け荷物が20Kg
(コンチは32Kg×2個までOK!)と制限があるため、出発前は荷物のスリム化に
苦労しました。
 関空到着後、早速JALカウンターでチェックインしたのですが、2人合わせて56Kgの
スーツケースも難なくパス。よくよく考えてみると、パラオへダイビングを楽しみに
行く人が持っている荷物ってもっと重いんですよね。「オーバーしたら手荷物にしよう!」
と事前に気苦労して損しました。
 私たちの搭乗する便は、日本航空3469便(B767−200)。機内は90%
くらいの搭乗率でした。以前、「パラオの空港は滑走路が短いので満席にしない」という
、嘘か本当か分からない話しを聞いたことがあるのですが、この状況を見ると本当の
ようでした。お客さんの大半はリゾートを楽しむグループや家族連れでしたが、時期的に
戦没者慰霊団と思われる年輩のグループも目に付きました。22時25分、定刻を5分ほど
遅れて離陸。パラオまでは3時間55分の空の旅です。水平飛行に移ったところで
ミールサービスが始まりましたが、メニューは夜中に食べるには多過ぎるような
サンドイッチセット。しかも付け合わせに鮭の塩焼きという、よく分からない内容でした。

【7月21日】
◎ またパラオに来てしまった…
 深夜の2時を過ぎた頃、眠い身体にもはっきりと降下しているのが分かり、夜の闇の
中に島影が見え始めました。そろそろ着陸かと思っていると、どうも何度か空港の上を
旋回しているようです。定期路線でないチャーター便ですから、「こんな空港降りたこと
ないで! 滑走路どこや?」なんていうコックピット内の声が聞こえてきそうです。
少々ハードランディングでしたが、ようやくパラオ国際空港に到着しました。
 今までの経験から入国審査は長蛇の列を予想していたのですが、審査官5〜6人で
処理してくれたので案外早く通過することができました。スーツケースをターンテーブルから
ピックアップし税関検査ですが、ここではいかにも「無線機なんか持ってませーん!」と
いう顔で挑みましたから、荷物を開けられることなくスルーでした。空港ロビーには
日本航空のオフィスが開設されています。定期便就航も近いのかも知れません。
 私たちを出迎えてくれたのは、PIAの現地係員でスイングリーという青年
(通称:クロちゃん)。なんでも4年ほど神奈川に留学していたそうで、日本語は
ペラペラ。英語が苦手な私たちを気遣って、伊藤さんが手配しておいてくれたのでした。
クロちゃん率いるマイクロバスに揺られ、ようやくVIPゲストホテルに到着したのは
3時30分。予約しておいた302号室(ツイン)にスーツケースを運び入れ、明日からの
無線運用を楽しみにベッドに潜り込みました…。

 しかし!! 楽しみが大きいというのは眠気をも吹っ飛ばすのか(まるで小学生の遠足だ!)、
夜が明ける6時頃には私もT88JRも一睡もすることなくベッドから這い出てきました。
2人もテンションが高い状態のまま、ゴソゴソとスーツケースの荷物を解き、302号室を
にわかシャックに早変わりさせたのでした。今回持参した無線機は、T88KSがIC−756
+6m用リニアアンプ(200W)、T88JRがIC−756+HF用リニアアンプ(500W)。
T88DXがTS−690Sです。

◎ 目標 2000局!
 7時過ぎにはシャックのセットアップが完了し、T88DXは21MHzSSBで第一声。すると
早速JA+Euがごちゃ混ぜのパイルになりました。運用開始8分後には早くもJF3PLF/杉浦さんが
コールして下さり、無事現地に着いたことを報告しました。この後約40分間でWACを含む
70局をログインし、ウォーミングアップとしては上々な滑り出しとなったのでした。
 今回は平日でしかも短期間の運用ですから、そんなにたくさんのQSOは望めないと思って
いましたが、それでも私は一応の目標を2000局とし、実質4日弱の運用が始まったのでした。

 今回はアンテナのほとんどをオーナーのジョージさんからお借りしたのですが、T88KSが
持参した50MHz4エレ八木と7MHzDPだけを屋上に上げました。屋上へ行くには
ジョージさんの無線室を通っていかねばなりませんが、ホテルのお兄ちゃん(マネージャー?)が
同行してくれ、アンテナの設営まで手伝ってくれました。事前にアンテナを上げることを
ジョージさんに手紙でお願いしてありましたから、話しが通っていたようです。
 このホテルの屋上には、複数の日本人グループが建てたハイバンドのアンテナ数基が上がって
います。このうち私たちは14/21/28MHzのトライバンダーと18/24MHzの八木を
借りることにしました。

◎ 雨・風そして停電
 アンテナを上げ終わったところで食料の買い出しに出かけようとしましたが、ここで非常に
強い雨が降ってきました。雨期のこの時期としては珍しいことではないようですが、強い西風も
相まってとても外に出られる状態ではありません。「まぁ無線でもして時間を潰すか…」と
思いましたが、しばらくすると停電状態になってしまいエアコンも停止。無線機もただの箱と
なってしまい、完全にお手上げ状態でした。
 2時間ほどしてようやく雨も小康状態になったので、買い出しに出かけることになりました。
お馴染み(お二人にとっては初めて)のWCTCショッピングセンターですが、店内が拡張され
綺麗になり品揃えが更に豊富になりました。昨秋WWコンテスト参加のために来た
JHφXUP(T88UP)/松川さんから話しは聞いていたものの、これほどとは思いませんでした。
生鮮食料品も豊富になり、またお総菜のコーナーまでできていました。食料品や雑貨など生活に
必要な物は全て揃いますし、朝の8時から開いていますから、旅行者にとっても非常に便利な
ショッピングセンターです。私たちは例によって、お決まりのビール、ミネラルウォーター、
カップラーメンなどを買い込みました。
 買い物と昼食を済ませ、ホテルに戻ってからは本格運用の開始です。高圧碍子からと思われる
S9のノイズに悩まされながらも、18/21/24MHzではまたまたJAとヨーロッパの
パイルが始まりました。今年の関ハムでアイボールした、JH8BKL(V63KA) & JF8IYR(V63MC)/河瀬夫妻から
も揃ってコールがありました。しかしヨーロッパのパイルはいつものことながらスゴイものがあります。
パイルアップ大好きな私としては嬉しい悲鳴なのですが、とにかく言うことを聞かない。
向こうでもコールバックが分からない状態だったようで、本当に無駄な時間を費やしました。
帰国してからのSASEの中に、「QRMでコールバックが分からなかったが、確かにオレは
T88DXとQSOした。オレを信じてカードを送ってくれ。」なんていうのがありましたが、
信じられないので“Not in the LOG”で送り返しました Hi。Wの局なんかは整然とパイルに
参加してくれるのですが、これも国民性の違いなのでしょうか。
それとJAの中にも日本語で話せる気安さからか、パイルアップの中QTHや名前、
それに無線機やアンテナの紹介までする人が結構おられ、完全にリズムを狂わされてしまいました。
それにレポートを送ってから「そちらのコールを教えて下さい!」というのも反則ですよ。
コールサインもQSLインフォも適当にアナウンスしているのですから、しっかり聞いていて
欲しいものです。
 とまぁひとり言の文句をブツブツ言いながら、「ビール+プリッツ+ポテトチップス&コーラ」
という非健康的な食事(=成人病の肥やし!?)で空腹を満たし続けながら運用が続いたのでした。

【7月22日】
◎ テレコム訪問
 私たちの免許を発給してくれたのは、Division of Transportation & CommunicationBureau of Commerce。
免許担当のディレクターはルーカス氏ですが、実質的な発給手続きをしているのは女性秘書の
ヒロミ・アサヌマさんです。私たちは免許のお礼方々お土産を持ってオフィスを訪問することにしました。
93年の運用の際訪れた記憶を頼りに、タクシー運転手にオフィスの場所を地図で示しますが
要領を得ません。そこでアサヌマさんからの手紙を見せると、「おー、ヒロミさんなら知っている。」
とパラオ港近くのオフィスに連れて行ってくれました。しかし!! 何とオフィスは閉鎖されており、
「オフィスは空港に移転した。」という貼り紙が残されていました。そう言えば計画段階のある時期、
JA国内ではパラオの免許について色んな噂が飛び交いましたので、少々不安になりましたが、
タクシー運転手に頼んで空港まで行ってもらうことにしました。ちなみに運転手の名前は
タケサブロウさんで、北島三郎の大ファンだそうです。
 昼間なのに人の姿のない空港ロビーから2Fに上がると、そこには引っ越し間もないオフィスがありました。
ここには1ヶ月前に移転してきたそうで、まだペンキの匂いがしそうでした。オフィスには
IBM−PCが鎮座しており、免許事務もPC化されているのだろうと勝手に想像しました。
アサヌマさん他スタッフのみなさんに挨拶し、仕事の邪魔になってはいけないので写真を撮って
早々に失礼しました。

◎ 50MHzがオープン!!
 前述のごとくT88KSは50MHzへの思い入れが強く、HFの運用もそこそこに自室(301号室)の
50MHzのリグでワッチを続けていました。
 この日の16時過ぎ、私がシャックの写真を撮ろうと301号室のドアを開けると、何と
T88KSが興奮気味にマニュピレータを操作しているではありませんか。そうです、とうとう50MHzが
オープンしたのです。沖縄のビーコンが弱々しく入感し始めたので50.110MHzでCQを出すと、
すぐにφエリアからコールがあったようです。オープンはJAの全エリアにおよびました。途中私も
オペレートを代わってもらい、SSB/CWで延38局をログインしました。
 T88KS自身、今回の50MHzの運用では256局をログインし、大変満足げに帰国されました。

【7月23日】
◎ お出かけとお留守番
 この日は朝から、T88KSとT88JRの2人はオプショナルツアーへのお出かけです。T88DXは2000局の
目標を達成すべく、お留守番を決め込みました。ここでペン(キーボード?)をT88JR/早越さんに
バトンタッチし、オプショナルツアーの様子をレポートしていただきます。

 オプショナルツアー担当のT88JRです。今回私はT88DX/藤原さんと違って初めてのパラオでしたので、
1日はどこか観光に行きたかったのです。出発前には、アルコロンとかいう“楽園”があると伊藤さんから
聞いており、できればそこへに行きたいと思っていたのですが、結果は夢かなわず以下のツアーと
なりました。一応レシートを見ると「ロックアイランド&フィッシング」となっています。  船着き場は
パラオ・マリーナホテルの横です。昨年T88DX & T88UPの時は2エンジンだったらしいのですが、
今回は1エンジンの7〜8人乗りのモーターボートでした。途中非常に高そうなホテル
「パラオ・パシフィックリゾート(PPR)」で他の客2名をピックアップして取りあえず沖へ。先ずは、釣エサを
ゲットするため鳥山がたってるところまで全速力。20cm程の円形に巻いた釣糸からルアーを流して鳥山の
周りをゆっくり廻るのですが、これが全然ダメ。結局は冷凍のイカになっちゃいました。その後釣りの
ポイントまで移動してスタートフィシングです。私は川や池でのポンポン浮きに赤虫・竹竿なんていうのは
知っているんですが、糸(それも太い糸)だけで、大きな針と大きなエサは全然初めて。結局エサの付け方
から魚のはずし方まで、T88KSのお世話になりました。その割には比較的大きな魚を釣ったんですよ、
証拠の写真もあります。30cmくらいかなあ…?。  数カ所のポイントでまぁまぁ釣れ次に移動しようと
すると、海面に何やら動く長いものが…。体長2mくらいの毒々しい色をした太い海ヘビの登場でした。
案内の連中は捕まえようと船を近付け、海ヘビも「でかい獲物が来た!!」とカマ首をもたげて寄ってくるの
ですが、ハブより強い毒と聞いてる海ヘビですのでこっちは少々ビクビクもの。写真を撮り終わった頃に
あちらから海底に逃げて行ってもらって一安心でした。案内人いわく、「そんなのよりサメが沢山いて、
潜ってる方にはそっちの方が怖い。」とのことでした。
 少々遅めの昼食後、シュノーケリングポイントで魚とお遊び。ある程度深さがあり、また雨期でもある
ので透明度も悪く底は見えませんでしたが、きっちりナポレオンフィッシュは確認できました。上の方で
適当に小さな魚にエサをやると、手からは取らないんですが手から離れたらみんなで奪い合い。
そのおこぼれを底の方でゆうゆうと待ってるのがナポレオンフィッシュ。なんか貫禄感じる動きでした。
 一応これでツアーは終了し、PPRでお2人とはサヨナラ。「これで船着き場に戻るんだなぁ。」と
思っていたら、どういうわけかまた滑走し始めます。今度は水路も狭く入り組んでいるので、ちょっとした
ゲーム感覚でした。気がついたらホテル日航パラオの前を通過し、まだドンドン進んでいます。
やっと着いたのはボートごと入れる洞窟でした。コウモリの巣みたいなものですが、どうもみなさん
お出かけみたいでお留守でした…。「フルーツバットか?」って聞いたら、嘘か本当か「バンパイアバットだ!」
って言ってました。帰りも思いっきり滑走して狭い水路をスラローム。船着き場には予定時刻に到着しました。
車でホテルまで送ってもらい、オプショナルツアーの終了でした。
 ここから先は、再び私(T88DX)がレポートを続けます。  お2人がお出かけしている間は無線三昧に
なるはずのT88DXでしたが、不運にもコンディションに見放されてしまいました。試しに50MHzを覗いて
みると、サイパンからQRVしていた盛岡クラブのWH2M/WHφ(JE7RJZ)/野田さんコールが聞こえます。
信号は非常に強力で、しばらくラグチューを楽しみました。盛岡のみなさんは次週から始まるYAQペディションと
同じレンタルシャックからQRVされており、YAQグループが到着するのと入れ違いに帰国するとのことでした。
 コンディションが悪い中、21MHzでCQを出しているJAの局を呼んではラグチューしていたのですが、
そんな中非常にショッキングなニュースが飛び込んできました。全日空機のハイジャック事件です。早速部屋の
テレビでNHKニュース(衛星放送で見られるんです!)をチェックすると、羽田空港の映像が飛び込んできました。
飛行機好きの私としては、なんともやりきれない事件の顛末でした。

【7月24日】
◎ ジョージさんはジェントルマン
 ホテルのオーナーであるジョージさんは、私たちがパラオに到着したころニューヨークへ行っておられ、23日に
パラオに戻って来られました。お子さんやお孫さんがアメリカ各地に住んでいるそうで、たびたび会いに行かれて
いるとのことです。  私たちはジョージさんにお会いして、留守中勝手にアンテナを借用しているお礼を言いた
かったのですが、お疲れもあるだろうとためらっておりました。するとフロントを通じてジョージさんの方から
「朝8時30分にロビーに来て下さい。」とお誘いを受けました。JA5AUC(T88TM)/三ツ田さんによりますと
「ジョージさんはジェントルマンです。」ということでしたから、私たちはTシャツに短パンというラフな普段着から、
襟付きシャツ+長ズボンというオフィシャル(?)な服装に変身したのでした。
 初めて会うジョージさんは柔和で、確かにジェントルマンの雰囲気をお持ちの方です。簡単に挨拶を済ませ、
お土産のJARL製コールサイン入りキャップをお渡ししました。今度はジョージさんが「コーヒーでも飲みに行き
ましょう。」と自らハンドルを握り、コロール島を見渡せる「サンライズ・ヴィラ」という高台のレストランに連れて
行って下さいました。  初対面ながらやはり同じアマチュア無線家ですから、おのずと無線の話しに花が
咲きます(あっ、ジョージさんが日本語堪能だというのもその理由の一つです Hi)。お話しを聞くうちに、ジョージさんは
若い頃米軍の無線技術者だっということが分かりました。コリンズやドレークのお話しもして下さいましたが、
残念ながら私にはよく分かりませんでした。フィリピン基地の米軍艦船がジョージさんの居所を探して、仕事先の
マジュロ(マーシャル諸島)までやって来たというくらいの腕の持ち主だそうで、「常に佐官クラスの待遇を受けた。」と
仰ってました。またその技量を買われて米軍から何度もアメリカ国籍の取得を勧められたそうです。その後は
パラオの運輸・労働・商務大臣を務められたそうで、私たちは図らずも元国務大臣と朝食を共にしていたのでした。
そりゃTシャツと短パンではあかんわ!!

◎ グッドコンディション!!
この日のコンディションは期間を通じて最高でした。JA各局の信号も強力で、また週末だということも相まって
18〜29MHzまでどのバンドでも次から次へと呼ばれます。ペディションはこれでないといけません。私たちの
計画に合わせてアパートにアンテナを上げてくれた熊本のJHφXUP/松川さんや、マンションのベランダに
モービルアンテナを架設して下さったJH3TXR/山本さんなど、YAQメンバーのコールサインが次々に強力に
聞こえてきます。中でもJI3NTS/矢向さんやJK3DEV/吉井さんは、京都でも滅多に無線で声を聞くことが
ないわけで、私たちにとっては逆の意味で“珍局”でした Hi。
夕方近くになり、少しずつアンテナの撤収を始めました。空港へのピックアップは午前0時ですが、遅くになって
からバタバタとするのもイヤなので、荷物のパッキングも早い目に済ませました。  実はパラオへの出発前、
PIA Japanの伊藤さんから「24日の夕方差し入れを持って伺います。」とのE-mailを受けていたのですが、
待てど暮らせど来られる様子がありません。連絡先のホテルに電話しても「ミス・ヒロコは今晩到着する。」
と言うだけ。差し入れに期待していた私たちは、空腹のまま午前0時を迎えたのでした。帰国後伊藤さんから
届いたE-mailには、「トランジットのグァムでトラブルがあり、グァムからトンボ返りしました。」とありました。
詳しくは書けませんが、色々大変だったみたいです。

【7月25日】

◎ さようならパラオ……
 空港ロビーには「どこにいたん?」って言うくらい、日本人がいっぱいです。みなさんリゾートホテルでのんびり
されていたんでしょうね。私たちは荷物を預けてさっさと手荷物検査場へ。ここで初めて荷物のチェックが入りました。
TS−690Sがしっかりエックス線に映ったんでしょう。「これは何?」って聞く係員に「無線機だ!」と答えると、
「見せてくれ。」と中身を取り出します。ここぞとばかりライセンスを取り出すと、即座に「OK!」と言ってくれました。
さすがライセンスの威力です。  午前2時15分、私たちを乗せた日本航空3460便はパラオを飛び立ちました。
途中、折から日本に接近していた台風5号の東側を飛行したため若干の揺れがありましたが、定刻よりもやや
早い6時15分には無事関空に戻ってくることができました。 ◎ あとがき  今回のペディションは平日中心の
運用と低調なコンディションということもあり、思うようにはQSO数が伸びませんでした。しかし各人が目標とした
ことは一応達成できましたし、仕事を忘れて好きなことを楽しめたわけですからそれなりに満足しています。  
またチャンスがあれば、パラオからの運用を計画してみたいと思っています。
                                  (おわり)

(この記事は1999年8月−9月京都クラブ会報No.347-348に掲載されたものです。)


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  Last Update May 12,2000