**2000年9月**

<<<T88(パラオ、exKC6)>>>

JR3KFX 初めての海外運用パラオから
                   T88FX/JR3KFX 高木 勝治


 私にとっては初めての海外運用、JA3ART海老原さんにパラオへ連れて行ってもらった、その報告をします。

10月5日(木)京都駅を新幹線ひかり124号、15:34発で名古屋駅に向かう、名古屋駅には16:16に着く。
名古屋駅で降り空港行きのバスに乗るため、無線機器がぎっしりと詰まった重いスーツケースを歩道を
ころがしながら、名古屋空港行きの名鉄バス停まで歩く(重いので、歩道をころがしてゆくのに一苦労)、
そして16:40発の空港行きのバスに乗る、空港には17:10(運賃は870円)に着いた。

空港でスーツケースをJALのカウンターでBaggage Check-in したら、私のスーツケースは35.2kg、
JA3ARTさんは35.6kgであり、カウンターの女性が32kg以上で重量を越えていると言われ重量超過分の
料金を払わされるのではないかと、ひやひや思っていたが、海老原さんが前もこの重量で難なく問題
なかったと粘ってくれた、結局、重量を越えた分の料金は払わなくてもOKとなり、代わりにスーツケースや
中身の破損に対する免責了承のサインをすることで決着がつきました。

「HEAVY 35kg」と書かれたラベルをスーツケースに二人とも貼られ、無事通過した。

集合の午後6時45分発には、まだだいぶ早く空港に着いたので、待合い席で時間をつぶした。

搭乗予定の飛行機は遅れて到着し、機内の掃除や荷物の積み込みなどで、やっと機内に乗り込み
滑走路に入いる矢先、機長から給油トラブルでターミナルに戻り修理するとアナウンスがあった。
修理後1時間10分遅れの午後9時55分に離陸してパラオに向かった。

パラオまで4時間20分の飛行とアナウンスが流れた。 飛行機はB767-300でエコノミー席両窓側2席、
真ん中3席の横7席。そして夜中の午前2:20にパラオ着、スーツケースを受取り出てきたら
VIPホテルから迎えを受け空港出発がAM 2:45でVIPに到着したのがAM 3:05。またパラオ空港に
着く前にスコールあった後で、とても蒸し暑かった、日本の蒸し暑さ以上に感じられた。

VIPの3階302号室に入ったのが午前3時15分、スーツケースから無線機器を出し、机にセットアップし
完了したのが午前5時40分。寝てないのでもうくたくたである、ここでちょっとベッドに入って、朝7時に
起床してアンテナ接続箱の中継BOXからRG-58U(5本)を接続し部屋まで同軸ケーブルを引き込み
JA3ARTさんがCWでTEST送信した。

朝飯のために、ちょっと離れたホテル「PALASIA HOTEL PALAU」のDESOMEL RESTURANTで
バイキングの朝食をとりに行く、二人で28.6ドルだった。

ホテルの帰りに近くのショッピング・センター(WCTC)に寄り、ミネラルウオーターや夜に備えて
パンやビールを買い込む。

ホテルへ帰って無線をやりだす、暫くしたらVIPのオーナーのT88GNジョージさんから海老原さんに
連絡が入り、外で食事をしましょうと誘われ午前11時ころに無線をやめてジョージさんの車に
乗せてもらい昼飯のご馳走となった、店の名前は瓢箪レストラン「HYOTAN RESTAURANT」という
日本人が1年前から経営を始めたレストランだった。皆さんも次回VIPに来たら、ここで1度は
食事をするのもいいかと思う。またパラオの電波管理局も以前と住所が変わったので新しい
電波管理局の建物にも案内してもらった。

午後からは1時間交代で無線をやる、私はSSTVをやり始めたが、6日(木)の平日でもあり
SSTVをやっている人も少なく、また相手がいても1局を終わるのにとても時間がかかり過ぎ
全然局数が増えない効率の悪いものだった。JA3ARTはCWが中心で局数も順調に増えている。

SSTVを交信していたら2エリアの人から先ほど中国地方で大きな地震が起きたと聞いた。
被害はどの程度だったか、詳細は分からない。夜も海老原さんはCWをやりかなり局数を
増やしているようだ、私はもう今日はあきらめて明日7日(土)JST9:00からのPSK31のコンテストに
かけようと思い、出発日より睡眠不足気味で寝ることにした。

しかし、パラオって蒸し暑い国である。(国って言ってもT88GNジョージさんに聞いたら人口は
パラオ人は約2万人で外国人(主に東南アジア)二万数千にとのこと。私の住んでいる伏見区は
約28万人強でパラオが14ヶ国できるなあ〜。。

10月7日(土)はJST 09:00から「The 2000 Fall Classic PSK31 Contest」(Sponsored by Troy ARA)
今回で4回目のContestが24時間あるのでそれに参加した、,昼飯は買ったSpring waterとパンや
お菓子を食べながらQSOに専念し,夜は前日のお昼に食べた店「HYOTAN RESTAURANT」へ
行き「牛肉の野菜炒めと味噌汁ご飯とビール」で17$だった。

帰ってからもPSK31に専念したが、この日はCondxが悪く局数が全然増えない。主にJAとHL、
DU位でWやEUが全然聞こえない最悪のCondxだ、RTTYでもSSTVでもPSKでもデジタルモードは
ある程度の信号の強さがないと完全な受信が出来ない。

やはり局数を増やすには微弱な信号でもQSO可能なCWだと感じた。CONDXが悪いので夜の
11時ころにベッドに入った。

(参考までに瓢箪レストラン「HYOTAN RESTAURANT」は「PALASIA HOTEL PALAU」の
前にあります。PALASIA HOTEL PALAU(以前の名前はOutrigger Palasia) に一度ここに
来た人は朝のバイキング料理を食べに来たかと思うので、どこだったかは分かるのではないかな。

宿泊しているVIPホテルから瓢箪レストランへは歩いてゆける距離です)

さて、8日(日)の朝の5時半に目覚ましをセットして起き、14/21/28MHzをダイヤルを廻してみるが、
PSK31の信号は強力なのもが入感してこない。もう信号が弱いので朝の8時ころにQSOはやめた、
隣のJA3ARTさんも、やはりCONDXが悪いと言いながら熱心にCWでQSOをしている。

この3階の302号室のシャックの窓から外を眺めると(北方向 )見晴らしはよく3200km先には
日本があるのかと、独りごとをつぶやいていた。海の上空には入道雲がもくもくとあり、
これがスコールのもとになる雨の原料だなと独りで感心していた。日本のように雨が降らないと
百姓屋さんは自動散水ポンプで畑に水をやるのを、私の家の前で見ているが、こちらでは畑に
水をやる心配はない、なぜなら殆ど毎日スコールがあるから。。。

昼前から再びSSTVをはじめる、今日は日曜日なのでJA局のSSTVの信号がよく聞こえていた
のでここでSSYVをずっとやっていた、晩になり腹が減ってきたので、どこかへ食べに行こうかと
海老原さんと相談していたら、歩いてゆける範囲ならこの二階にあるコリアン(韓国)の店に入り、
私は焼肉料理(京都にある韓国の焼肉屋の方が味がよかった)とBeerを飲んで17.95ドルだった
ので20ドル払って出てきた。

明日10月9日(月)はレンターカーを予約したので、島内をドライブすることにした。

朝の10時ころにレンタカー屋の姉ちゃんが日産車の「SENTRA」という赤い車をVIPの
HOTELに持ってきてくれた、外国での車種はSENTRAと言われてもピンとこない。外に出て車を
見ると私が乗っているMARKUよりちょっと小さい、まあOKとサインする、1日車代$45と
保険$10で計$55(Gasは返すときに満タンにして返す) さて、VIP HOTELから海老原さんが
運転してNIKKO HOTELへ行き、そこでCoffeeを飲んだ、このNIKKO Hotelの裏の小高い丘(山)
には昔の日本軍の高射砲が赤錆で鎮座していた、そして風景をデジカメで写真を撮る、それから
PALAUのInternational Air Portへドライブする。飛行場へ着いて中に入ってみたら、この日は
飛行機の離発着が全然ないので誰も人はいない、こんな飛行場もあるのだなと感心した。

ちょうど昼頃になってきたので、PPR(Palau Pacific Resort....無線設備がありのQSOの出来るホテル)
へ昼飯がてらに訪れランチをとる。やはり、CQ誌やPPRのHome pageで知っていた通りきれいな
ホテルで、JAの新婚さんが何組か浜辺でリゾート気分で楽しんでいた。

それから、ちょっとその辺をドライブしてVIPに戻ってきて、海老原さんは車から降りて部屋に戻って、
CWをしょうとしていたらしいが、私が帰る頃まで「停電」で無線が出来ないようだった。

私は一人で車を運転してVIPから飛行場の方へドライブした、どんどん走っているうちに道を
間違ってNIKKO Hotelの方に曲がってしまい気がつき、右側通行の右側にある広場に入り
左Uターンして再び飛行場の方へ走っていったが、走っている途中で不安になってきて再び
UターンしてVIPホテルの方へ戻ってきた。

一番危ない経験をしたことは右側通行をしていて、右側に広場があったので広場に入り左Uターンをして、
そのまま日本式の左通行をしてしまい、向こうの方から対向車がきて気がつき相手もびっくりしていたし、
こちらもビックリした、まあ対向車が少ない場所だったので事故にはならなかったが。。。

滞在最後の10月9日の夜はレンターカーで夕食を食べるために「どらごん亭」という炉辺焼きの店に行き、
海の幸を充分に食べた、お代は一人30ドルだった。

そこを出てガソリンスタンドへ行き、レンターカーを明日返すためにGasを満タンにしてVIPに帰った。
帰ってからARTさんはVIPのオーナー(T88GN)のシャックの設備から50MHzに出てJAのパイルアップを
さばいていた。

この9日の夜遅くJAへ帰る支度をし、深夜の午前1時半(10日)にVIPホテルを出てパラオの飛行場へ
向かった、午前2時頃飛行場着、お客は日本人ばかりでダイビングの人ばかりだった。

出国手続きをして午前4時発で離陸し名古屋空港には午前8時過ぎに到着し、バスで名古屋駅へ
そして新幹線で京都へ、昼前に自宅に着いた。

結局、私はPSK31とSSTVだけのQSOしかしておらず、局数はほんの少ししか出来なかった。
JA3ARTさんはSSBが1/3、残り2/3はCWとのことで合計で約2,200局位のQSOらしい。

私は恥ずかしくて公表できる局数ではなく、今後はパソコンを使ったQSOではなくSSBかCWを
勉強してやろうと考えた。

パラオへ連れて行ってくれたJA3ART海老原さんには、色々とお世話になり紙上を
お借りしてお礼を申し上げます、有難う。

(この記事は2000年10月〜11月京都クラブ会報No.361〜362に掲載されたものです。)


   
==写真集==

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T88FX
T88JJ
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以前は空港に会ったが、今は離れた場所に引っ越してきたとのこと。T88GNさんが今度ここへ移転したと案内してくれた。 
パラオの電波管理局は2階にあるとのこと。
瓢箪レストラン
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瓢箪レストランへT88GNのジョージさんが
昼飯を食べに連れて行ってくれた店です。
もう一人はこの店の瓢箪レストランの経営者。
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WCTCと言うVIPのホテルの近くにあるショッピングセンター。
ここで水や食料品を買うところ。
これは現在、Palasia Hotel Palauと言うホテル名でもう少し前までは「Outrigger Palasia」という名前のホテルだったとか、オーナーが替わったらしい。
ここの1階にバイキング料理があり、朝食に行った。
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滞在したVIP Guest Hotelの建物と責任者のフィリピン出身の28才?のBongと言う青年。
Shackは3階の左端が運用した302号室(二人用)左から2番目は廊下。左から3番目が301号室(一人用)
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借りた日産車のSentaraと言う車。
室内ランプは点灯せず、また走行距離のメーター、トリップメータ、オドメーターなどは作動せず。
Coffeeを飲みに寄った「Nikko Hotel」の裏の
小高い丘に旧日本軍の高射砲の赤さびた残骸が残されていた。
t88fx-088.jpg (16979 バイト) 最高のホテルのPPRに設置されたアンテナ

 


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  Last Update May 12,2000