**1998年1月**
<<<T88(パラオ、exKC6)>>>
海外運用レポート
QRV from Republic of PALAU T88DX
T88DX/藤原健志 1997.12.29〜1998.1.5
私(JI3DLI)は97〜98年の年末年始休暇を利用して、松川さん(JHφXUP/6)とともに、南の島「パラオ共和国」から
QRVしました。男2人の全く色気のない旅行でしたが、青空と美しい海に囲まれながら、思う存分パイルアップを
楽しみました。その顛末をご紹介したいと思います。
(時間は全てローカルタイム)
●パラオ共和国
パラオは日本の真南約3,000Kmに位置し、大小数え切れないくらいの島々で形成されています。第一次大戦当時は
ドイツが、また第二次大戦時は日本が統治していた歴史があり、今でも年輩の人の中には流暢な日本語を話す人が
少なくありません。終戦後はアメリカの信託統治領となりましたが、94年10月に独立しました。パラオのプリフィックスが
"KC6"から"T8"になったのもこの時です。
日系人大統領というと、日本ではペルーのフジモリ氏が有名ですが、ここパラオのナカムラ大統領が日系二世で
あることはあまり知られていません。この国にはこれといった産業はありませんが、豊かな自然を目玉に観光立国を
目指しており、私たちが訪れた時にも多くの日本人や東南アジアからの観光客を見ることができました。
●計画開始
93年8月、私はJARL京都クラブ(JA3YAQ)主催のペディションメンバーとしてパラオから運用しました(ex.KC6LI)。
このときは1.9〜50MHzにQRVし、メンバー5人でのQSOが延べ1万局を超えました。日本からの距離が近く、またフレンド
リーなこの国を気に入ってしまった私は、「またいつかパラオに行こう。」と思い続け、その後毎年免許を更新しました。
4年後の97年6月、「思い切り無線がしたい!!」という私の呼びかけに熊本在住のJHφXUP/6松川さんが応えて下さい
ました。
XUPも私と同様、前回のペディションメンバーです(ex.KC6UP)が、普段なかなか無線を楽しめる環境にないのは私と同じです。
そこで日頃のストレス解消にと、年末年始の休暇を利用してパラオから運用することとなりました。
●免許申請
パラオのアマチュア無線免許は、日本の免許をベースに取得することができます。但し、相互運用協定による免許では
ありません。申請書に必要事項を記入し、日本の免許(従免・局免)とパスポートのコピーを添えて申請します。申請料は
無料です。
私は前述のように毎年免許の更新をしてきました。これまでのコールサインはKC6LIでしたが、今回新たなプリフィッ
クスによるコールサインが発給されることが分かっていました。T88JAやT88CWは既に免許されているとの情報がありましたが、
「T88DX」はまだ発給されていない様子。免許申請の際ダメもとで「T88DX」を希望したところ、幸いにも希望どおりのFBな
コールサインを得ることができました。しかも5月末の申請に対して、約2週間後の6月初旬には免許が郵送されてくるという、
大変スピーディーな処理でした。
T88DXのライセンス
●飛行機とホテル
飛行機とホテルの予約は、インターネットのホームページ(http://www.pia-japan.com/index_j.htm)で見つけた東京の
ピア・ジャパン社(担当:伊藤さん)にお願いしました。大手ではない旅行社ですから少々不安な面もありましたが、反面
こちらの希望や疑問に即応してもらえますから、いらちな私にとっては非常に有り難いことでした。また現地日本人スタッ
フの今石さんがT88IY(JF6BCC)のコールサインを持つアマチュアであるということも非常に心強く、今回の旅のコーディネート
全てをお願いすることができました。
パラオまでの行程は、私が関西国際空港(関空)から、そしてXUPは福岡国際空港から各々出発し、経由地であるグァム集合と
いうものです。私たちの希望する年末年始は非常に飛行機が取りにくく、特に日本〜グァム間は正規料金を払ってでもチケット
を取りたいという人が現れるほどの人気路線です。従ってこちらの休暇の許す範囲で数パターンの日程を決め、複数の予約(リク
エスト)を入れてもらいました。当初10月半ばには回答があるということでしたが、結局飛行機のOKが出たのは出発を1ヶ月後に
控えた11月27日のこと。ようやく日程も12月29日出発〜1月5日帰国と決まりました。
ホテルは迷うことなくニューコロールホテルに決めました。No.331
or 336の部屋指定です。お世辞にも綺麗なホテルでは
ありません(少なくともカップルにはお薦めしません)が、アマチュア無線の運用には理解があり、また首都コロールの市街地にも
近く便利が良いため、多くのアマチュアがこのホテルから運用しています。女性マネージャーのリアさんも、コールサイン
(T88DO)を取得したそうです。
余談ですが…… 旅行の手配、特に私たちのような個人旅行の手配では旅行社との連絡が頻繁に行われますが、東京の
伊藤さんはもちろん、現地スタッフの今石さん、また熊本のXUPともE-mailによる連絡が可能で、従来に比べて通信費を
大きく節約することができました。
●機材準備
今回の運用はXUPと私の2人だけ。必然的に持って行ける機材にも限りがあります。私たちは当初からお手軽移動を決めつけ、
手持ちの100W+ワイヤーアンテナ程度の機材を考えていました。
9月初旬、パラオの今石さんから1通のメールが届きました。「時期を同じくして、福岡のJA6VZB(T88JA)森山さんが同じ
ホテルから運用されます。調整して下さい。」とのこと。森山さんは、年に何度もパラオから運用されるベテラン。同宿する
のはご迷惑ではないかと思いながらも、メールのやり取りが始まりました。それによりますと、森山さんは1.9MHzとSSTVを主に
運用されるとのこと。また昼間はダイビングに出かけられるので、私たちとの運用上の影響も少ない様子です。また何度かの
メールのやり取りの中で、「設営と撤収を手伝ってもらえるのなら、八木アンテナを使ってもらっても良いですよ。」という、
私たちとしては願ってもないお申し出をいただきました。ビームアンテナが有るのと無いのとでは、天と地ほどの差があります。
氏のお申し出に甘えることになりました。以下が、今回のラインナップです。
無 線 機 TS-50S(100W) , IC-706(100W)
アンテナ 3.5/10/18/24MHz ウィンドム
7MHz DP
14MHz 3エレ八木
21/28MHz 3エレ八木
●出 発
暮れも押し迫った12月29日。いよいよパラオへの出発の日です。関空までは特急「はるか」を利用しますが、前夜全く眠る
ことができなかった(まるで小学生!)私は、眠い目を擦りながらJR京都駅ホームで列車を待ちました。
関空は年末年始を海外で過ごす家族連れやグループで大混雑。ひとりでウロウロしているのは私ぐらいなものです。大きな
スーツケースを持っていてはトイレにも行けないので、08:30には早々とチェックインを済ませ、出発ロビーへと向かいました。
ちなみに出発予定時刻は10:50です。手荷物検査では「リュックの中の無線機がヤバイかなぁ?」とも思いましたが、何の問題も
なく通過することができました。
私を乗せたコンチネンタルミクロネシア航空CS978便は、定刻を15分ほど遅れてグァムに向けてテイクオフ。機内は12月半ばに
グァムを襲った台風の影響か、8割程度の混み具合。私の横も空席です。ウェルカムドリンク(シャンパン)を一気に飲み干し、
昨晩の寝不足を解消しようと思ったのですが、やはり気持ちが高ぶっているのか、ここでも眠ることはできませんでした。
定刻の15:20に到着した私から遅れること1時間。福岡からXUPを乗せた飛行機が到着しました。彼とは1年2ヶ月振りの再会です。
●いざパラオへ
パラオへ向かうCS953便が飛び立ったのは、夕暮れ迫る18時ちょうど。西南の方角に機種を向けるボーイング727の窓からは、
美しいサンセットを見ることができました。機内はお正月をパラオで過ごす人たちでいっぱい。そのほとんどがダイビングや
シュノーケリング、フィッシング等、マリンレジャーを楽しむ人たちです。
19時過ぎ、少々荒っぽいランディングでしたが無事パラオに降り立つことができました。南の島特有の湿った風が私たちを
歓迎してくれます。イミグレーション(入国審査)では既に長蛇の列ができていました。4つの窓口各々に列ができているのですが、
私の並んだ列には出入国カードを書いていない人や、はたまた帰りの航空券をスーツケースにしまい込んでいる人がいて、
なかなか処理が進みません。空港内に空調は無く、唯一大きな扇風機が回っているだけですから、汗だくになってしまいました。
税関ではスーツケースの鍵を開け、準備万端で順番を待ちましたが、何ひとつ荷物を開けられることなくパス。結局今回の
旅行では、1度も荷物を調べられることはありませんでした。何を聞かれても大丈夫なようにと答えを用意していた私としては、
少々拍子抜けでしたが…。
●XUPの免許は……
空港を出た私たちを、スタッフの今石さん(T88IY)が出迎えて下さいました。XUPと今石さんは福岡で行われたFCC試験で面識が
あり、時期を同じくしてエクストラ級に合格した同窓生です。私と今石さんは初対面ですが、何度ものメールのやり取りと、
何よりも同じ無線家であることが初対面を感じさせませんでした。
今石さんの開口一番は、「松川さんの免許がまだ出ていません。」でした。そう、この時点ではXUPの免許が発行されていな
かったのです。さて、XUPはパラオで無線を楽しむことができたのでしょうか?
●パラオ第一声
マイクロバスに揺られること15分。ニューコロールホテルに到着しました。以前何度か利用した1階の中華レストランは無く
なったと聞いていましたが、代わりにタイレストランが開業していました。
予約しておいたNo.336室に荷物を置き、早速T88JA森山さんの部屋を訪問。1週間お世話になるご挨拶をしました。森山さんは
私たちよりも2日ほど早くパラオ入りされ、既にホテルの屋上に1.9MHzの逆Lと14MHzの3エレを建てておられました。すごい!!
森山さんのご好意で、早速14MHzの3エレをお借りすることができ、T88DXによる第一声を出すことができました(21:34)。
この夜は東南アジアを中心に、50局程度のQSOに止まりました。昨夜の寝不足と長旅の疲れからか、急に睡魔が襲ってきました。
ニューコロールホテル
●グッドコンディション
明けて12月30日。日本にいれば、大掃除の真っ直中ですが、ここパラオではそんなことを考えることもなく、朝から21/28MHzの
アンテナ(3エレ)設営です。まだ9時前だというのに、強力な太陽の光が私たちに降り注いできます。1時間弱で組み上げた3エレは、
マスト径とUボルトの寸法が合わず針金で固定することになってしまいました。そのせいか少々歪んではいますが、私たち2人では
到底考えも及ばなかったビームアンテナが、ルーフタワーとともにパラオの青空に浮かび上がりました。汗もしっかりとかきました
けど…。
09:42、早速21.295MHzでCQを出すと、「この周波数でT31BBが出てますよ!」という声が。いきなりやってしまいました。
しっかりワッチもしないまま、オンフレでCQを出すなんて大ヒンシュクです。混信を与えてしまったみなさん、ゴメンナサイ。
気を取り直して21.285MHzでCQを出すと、たちまちJAのパイルアップ。信号強度も3,000Kmの距離を感じさせないほど強力な
ものです。こちらの信号も100Wながら、何とかJAに届いている様子。早速JR3QHQ,
JR5XPJ, JAφDAI, JF2MBFなど聞き慣れた
コールサインがログを埋めていきました。京都クラブの一番乗りは、JF3LGC馬渕さんでした。ピーク時には1分間当たりのQSO数が
3〜4局となることもあり、ログのページが次々にめくられていきます。さすがに1時間もするとパイルアップは小康状態となり
ましたが(みなさん暮れの大掃除?)、コンディションは上々。何よりも増して、ビームアンテナの威力は絶大です。
次に29MHzFMにQSYしますと、こちらでもJAが強力に入感しています。29.300MHzでCQを出し、29.240MHzにQSYすると、東日本〜
西日本を中心にパイルアップが起きました。ビームアンテナを使っていると思われる局の信号はもちろんですが、「マンションの
ベランダに取り付けたモービルホイップで出ています。」という局の信号も、掛け値なしの59でしっかりと聞こえていました。
そうそう、このバンドでのパイルアップが一段落した頃、1エリアの局から「AMに出られますか?」というリクエストがありました。
AM大好きの私がリクエストに応えたのは、言うまでもありません。
この日の夕方QRVした14MHzSSBは、私が今までに経験したことがないような凄まじいパイルアップでした。JAから見てパラオは
そんなに珍しいところでもないのでしょうが、年末休みでワッチしている人も多いらしくパイルがパイルを呼ぶといった状況になって
きました。少々のパイルアップならばさばく自信のあった私なのですが、この時ばかりは「ワーン」と唸っているヘッドホンを
押さえながら、その自信も萎んでしまいました。
この夕方2時間半だけで約500局のQSOを数え、もうクタクタ。夜までにはログ1冊を使い切ってしまいました。
21/28MHz3エレビームアンテナ
●ローバンド
今回私たちは、ローバンドとWARCバンド用にマルチバンド対応のウィンドム・アンテナを用意しました。このアンテナは元々
10MHzと21MHzには対応していませんでしたが、エレメントを追加することで3.5〜28MHzをカバーするという、私たちのような
お手軽ペディションにはもってこいのアンテナ、いやそのはずでした。
21/28MHzのアンテナを上げるのと同時に、全長約42mにもなるこのアンテナを屋上に展開したのですが、実際に使ってみると
どのバンドもS9のノイズ。ハイバンドの強力な局は聞こえるものの、ローバンドでは全く使い物になりませんでした。いくら
パラオの都市化が進んでいるとはいえ、このノイズは尋常ではありません。やはり高調波アンテナは使用周波数に対して
インピーダンスが高く(300Ω)、6:1バランで無理やり整合しているためなのでしょうか?
全く意味をなさないこのアンテナに業を煮やした私たちは、XUPが持ってきたACコードを引き裂いただけという7MHzDPに
上げ直しました。これは大正解で、あれだけ私たちを悩ましたノイズがピタリと止みました。3.5MHzやWARCバンドに出ることが
できなくなりましたが、7MHzは十分に信号を送り込むことができました。「やはりアンテナはキッチリと同調したものを使わないと
いけないな。」という基本を悟った私たちでした。
T88DX
●首都コロール
ここで私たちが滞在した、パラオの首都コロールの様子をご紹介しましょう。
私たちが宿泊したニューコロールホテルはコロールの街を見下ろす位置にあります。ホテルの前を走るメインストリートを
西に下って行くと、歩いて3分ほどでWCTC(マーケット)があります。ここには生活用品のほとんどが揃っているので、私たちも
毎日のように食べ物や飲み物を買いに訪れました。2階にはお土産があり、パラオの色鮮やかなTシャツも豊富です。WCTCから更に
3分ほど西に行くと、郵便局があります。パラオでは美しい切手がたくさん発行されており、故ダイアナ元妃を偲ぶ切手シートも
ありました。郵便局の裏には、商務大臣であるジョージ氏がオーナーを務めるVIPゲストホテルがあります。ジョージ氏もまた
T88GNのコールサインを持つアマチュアです。このホテルには私たちと時期を同じくして運用された、T88KH海さんが宿泊されて
いました。
コロールの街中には、たくさんのレストランがあります。目に付くには日本料理の店と、中華料理の店、韓国料理の店ですから、
日本人の私たちが食べる物で困ることは先ずあり得ません。私のお気に入りは、ホテルから歩いて15分ほどの所にあるロック
アイランドカフェ。アメリカンスタイルのカフェで、私が注文したホットドックは、付け合わせのフライドポテトがお皿からあふれ
出そうなくらいのボリューム。なかなか美味しかったです。
4年振りに見たコロールの街は大きくは変わっていませんでしたが、独立したせいか都会になったという印象を受けました。
行き交う自動車の数は格段に増え、以前は見ることもなかった交通信号機が設けられています。私たちが泊まったホテルの前には、
98年夏に開業する外資系ホテル(8階建て)の建設が進んでいた他、島内ではいくつかのリゾートホテル建設が計画されており、
また日本からの直行便が予定されているなど、一層の都会化が進みそうです。もちろん便利になるのは良いことですが、開発と
ともにパラオ本来の自然が失われていくことが、私としても少し残念です。
首都コロールのメインスツリート
●K-Bブリッジ
私たちの滞在したコロール島と空港のあるバベルダオブ島を結ぶのがK-Bブリッジです。橋台間350mのコンクリート製の橋は、
市民の重要な生活ルートでしたが、96年9月にこの橋が落橋。巻き添えになった3名の尊い命が失われました。
以前この橋に遊びに来たときは、たもとの小さなビーチで写真を撮ったり泳いだりと非常に楽しかった思い出があります。
私たちも日本で落橋のニュースを聞き、ショックを受けたものです。現在は仮橋が設置されていますが、本設橋のメドはまだ
立っていないそうです。
K-Bブリッジの様子が気になった私たちは、コロールの街からタクシーで現地に向かいました。そこには落ちた橋ばかりでなく、
事故に巻き込まれた自動車までもが、当時のままの状態でした。非常に心の痛む光景でした。
落橋したKBブリッジ
●T88UP
12月31日、日本では大晦日です。「今夜はラジオジャパンで紅白でも聞くか…。」と思っていた私は、やはりどこまで行っても
日本人です。
ロックアイランドカフェでのブランチを終え、ブラブラと街の写真を撮っていた私の430MHzハンディ機に、今石さんから
呼びかけがありました。「松川さんの免許が発行されました。コールサインはT88UPです。」 XUPが思わずガッツポーズをした
瞬間です。
ホテルに戻ったXUPは、待ってましたとばかりに無線機の前に座り、21MHzでQRVを始めました。彼のCW運用は非常に参考に
なります。
左手でマニュピレータを操作し、右手でログを書く芸当は私にはできません。それにログが綺麗なこと。私なんかCWの運用を
始めると、間違いだらけで真っ黒。さすがJAφYAK(新潟大学)で、百戦錬磨の経験を積んだだけのことはあります。
私はと言いますと、この日の早朝には持参したログ2冊を使い切り、近所のスーパーで買ってきたノートをログ代わりにして
いました(A4版になったJARL発行のログよりも、このノートの方が使いやすかったです)。「2,000局QSOしないと帰ってきたら
あかん!」というJH3TXR山本さんのお言葉を、いとも簡単にクリアしていたのでした。
T88UP
●ロックアイランドツアー
年が明けた1月2日。少々無線に飽きてきた私たちは、今石さんにお願いしてオプションの「ロックアイランドツアー」に参加
しました。ロックアイランドとは波に浸食されたマッシュルーム状の小島で、パラオ名物となっています。
高級リゾートホテル「パラオパシフィックリゾート」の桟橋から、香港人ファミリーとともにスピードボート乗った私たちは、
40分間のスリルある時間と、今までに見たこともないようなマリンブルーの海を楽しみました。熱帯魚もすぐ手の届くところに
姿を見せてくれます。以前パラオに来たときは、ろくに観光もせずに無線に没頭していましたから、今回は目に映る光景が
非常に新鮮で、「ここまで来て良かった。」と思った
ものです。この光景を目にすれば、誰でもUS$85の費用が安いものだと感じるはずです。
ボートは途中の小島に立ち寄ります。目に眩しいほどの、真っ白なビーチが私たちを迎えてくれました。正直言って男2人で
来る所ではありません。ここでは昼食を挟んで2時間半ほどの時間を過ごすのですが、用意の悪い私たちの格好はTシャツ+ジーンズ。
目の前に美しいビーチがあるのに、完全に周囲の風景から浮いていた2人でした。案内をしてくれた青年(日本に留学経験があり、
日本語ペラペラ)から、「そのままで泳げ!」と言われましたが、無茶はやめておきました。しかしここまで来て海に入らないのは、
本当に何をしに来たのか分かりません。今度からは、持ち物リストに水着を加えておきたいと思います。
ロックアイランド
●T88JA森山さん
私たちがお世話になったT88JA森山さんは、前述のとおり年に何度も来られるほどのパラオ通。今回は主に1.9MHzとSSTVを運用
されましたが、無線はもっぱら夜。朝から夕方にかけてはダイビング楽しまれていましたから、一体いつ寝ておられたのでしょうか?
このバイタリティーに、私たち2人は脱帽しきりでした。 また無線に対するこだわりの姿勢は素晴らしく、夜中であろうが
ヘッドランプと安全帯を身に付け、アンテナ調整のためにルーフタワーに登っておられました。私たちのような「チューナーで
落とそう。」とか、「まっいいか!」という妥協は一切見られません。
私たちは旅行に行くときなるべく荷物を小さくし、重量も極力軽くしようと努力するものですが、森山さんの考え方は違います。
許される重量制限(32Kg×2個)をフルに活用し、無線機にアンテナ、そしてパソコンに至るまでの全てを一人で持ってこられました。
もちろん機内持ち込みも両手いっぱいです。
とにかく色々な面で、年下の私たち2人がいかに軟弱であるかを思い知らされました。
T88JA
●Wのパイルアップ
海外で運用する楽しみはパイルアップを受けることにあるのですが、JAのパイルアップとWのパイルアップではひと味違います。
パラオ最後の日となった1月4日の朝、21MHzで待ちに待ったWがオープンしたのです。
JAから見れば雑魚カントリー(最近はエンティティって言うんでしたっけ?)のパラオですが、Wからですと珍しい国のようで、
呼びかけてくる局の迫力が違います。しかし「スタンバイ!」のアナウンスにはしっかりと沈黙を守ってくれますし、指定無視も
ありません。こちらとしても非常に気持ちよくパイルをさばくことができます。JA各局のマナーは世界でもピカイチなのですが、
Wのそれも全く引けを取りません。
"T8"というプリフィックスは、まだしっかりと認知されていないらしく、特に欧米の局からは「Where
is your QTH?」と何度も
聞かれました。私の発音が悪いのか、パラオであることを理解できない局の中には、「緯度・経度を教えてくれ!」という局も
ありました。事前にグリッドロケータを調べていた私でしたが、緯度・経度までは気が回りませんでした。
●さよならパラオ
Wのパイルアップも一段落したお昼前、21/28MHz
3エレと森山さんが使っておられた1.9MHz逆Lを撤収しました。14MHz3エレは、
もう1日滞在される森山さんが使われるのでそのままです。私たちは夕方まで、7MHzDPで21MHzの運用を続けました。この頃になると
1局あたりの交信時間が長くなり、のんびりとパラオの話しをしたり、日本のお正月の様子を聞く余裕が出てきました。「私も
パラオへ行きたかったんです。」と仰る方もおられ、なるべく時間を取ってパラオの様子をお知らせしました。次々とパイル
アップをさばくQSOもそれはそれで面白いのですが、南の島でのんびりとラグチューを楽しむ
のもまた贅沢なものです。
夕方4時頃にはアンテナをはじめ全ての機材を撤収し、スーツケースに収めました。今回の運用での交信数は3,303局となりました。
内訳は下表のとおりです。
最後の夜は少し贅沢に、1人US$25の韓国料理のコースです。カルビ焼肉やお刺身でお腹いっぱいになりました。後で気付いた
のですが、4人前のコースを2人で平らげていたのでした……。
20:30、森山さんやリアさんのお見送りを受け、今石さんの運転するワゴン車で空港に向かいました。実は私たちを乗せるはずの
マイクロバスがホテルを通り過ぎてしまい、次のホテルに向かってしまったのでした。現地人運転手のいい加減さに、今石さんも
恐縮されていました。到着した空港ロビーは、どこから集まったのか日本人でごった返しています。
グァムに向かう飛行機は、約1時間遅れの23:15にパラオ国際空港を離陸。01:30にはグァムに到着していました。グァムの空港は
半月前の台風の影響か、停電の上に空調も止まっています。蒸し風呂のような空港ロビーで約6時間の待合せ時間を過ごしました。
そう言えば93年にパラオへ行った帰りも、グァムではマグニチュード7を超す大地震があり、同じような停電+蒸し風呂状態を
経験しました。また、昨年夏には京都クラブのマーシャル諸島(V7)ペディ隊もグァムに立ち寄りましたが、彼らもまた大韓航空機の
墜落事故に遭遇するなど、どうも私たちはグァムに歓迎されていないようです。
●エピローグ
1月5日のお昼過ぎ、無事真夏のパラオから真冬の自宅に帰ることができました。この日の夕方届いたE-mailによると、XUPも
無事に熊本の自宅に帰ったようでひと安心。でもこれで全てが終わったわけではありません。帰国した私を、十数通にも及ぶSASEが
出迎えてくれました。これから気が遠くなるような数のQSLカードを発行しなければなりません(今回のQSLカードはSASEへの返信を
優先し、6月末に全てビューロへ転送します)。
今回の旅行では本当にたくさんの方々との新たな出会いがあり、これは私たちにとって非常に大きな財産となりました。
また私たちだけでは到底実現できなかったことも、たくさん経験しました。そんな楽しかった思い出を胸に、次の計画を練って
みたいと思います。また近いうちにパラオから電波が出ることでしょう。
今回お世話になったT88JA森山さん、ニューコロールホテルのみなさん、ピア・ジャパンの伊藤さんと現地スタッフのT88IY今石さん。
そして私のわがままに最後まで付き合ってくれたJHφXUP/6松川さんと、QSOいただいた全てのみなさんに心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
(おわり)
(この記事は1998年6月関西ハムの祭典にて配布された資料に掲載されたものです。)
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Last Update May 12,2000