**1992年2月**
<<<CE(チ リ)>>>
JH3QNH in
Chile
(以下は、日本で待機中のJA3OINが書いたものです。)
JA30IN/橋本正
京都クラブのJH3QNH山下君が現在仕事でチリに行っています。仕事の合間に無線をしようと
頑張っていますが個人の免許での運用は難しそうです。
FAXが届きましたのでニュースにします。以下の文章です。チリ時間と日本時間の差は12時間です。
すなわちPM4時は日本時間午前4時です。
【2月17日(月)受信】
お早うございます。こちらは2/16(日)夕方です。12日にRCCH(チリ・アマチュア無線連盟)に
来いと言う事だったのですが、TELするとまだ処理されておらず、17日に再度と言う事になっています。
週明け早々にRCCH事務所へ行く予定をしています。ライセンス入手してもただの”おみやげ”に
なるかもしれませんが(たとえ通信省が認可しても、軍やポリスとトラブルの可能性がある)、
やっぱりほしいのでがんばります。
こちらのサマータイム中日本とは12時間逆転しています。しかし感覚的にはさらに+3時間
ずっています。PM9時すぎてから暗くなり始めます。連日晴れ、最高気温28℃、最低気温14℃、
湿度は少なく生活は快適です。治安はペルーなんかと比べものにならないくらい良く、不安は感じ
ませんが、街中ポリスがいます、政府や重要施設には軍がはりついており、ポリスの半分、軍は全員
自動小銃を持っています。治安が良いのはこのせいかも知れませんが・・・・・。でも一般人の
生活水準は高く日本と同じ様にスーパーには商品があふれています。(昨日、スーパー内で写真を
とろうとしたら、撃れるところでした。ドロボウ防止のため、店内で写真なんてとんでもない事だ
そうです。)
先週は、深夜の仕事が多くつかれましたが、今週からは日中になりそうです。
ホテルの近くにRADIOショップがある事がわかったので行ってみるつもりです。
CE3GDNは週末出張でいなかったので、まだアイボール出来ていません。月or火に帰って来るので
楽しみにしています。
2日前からNHK「ラジオJAPAN」を聞いています。ホテルのまどから聞く時だけ電線を2mほど出して
います。下手するとスパイにされるので、ドキドキしてやっています。リグもその時だけ出してきて、
あとはスーツケースにしまっています。
2/15(土)は休みだったので、バルパライソまで行きました。チリで最大のリゾート地ですが、
シーボルト海流は冷たくとても泳げるものでありません。ペリカンがいた。次回の休みは南米最高峰
(約7000m)の山を見るついでにアルセンチンヘ入国してやろうと思っています。
PS。
いま2/16 PM8:00これからレストラン「JAPON」へ茶ずけでも流しに行ってきます。
【2月20日受信】
Happy!!
今回(2/19)、PM4:20−30(現地時間)オンエアーする事が出来ました。(14,21,28MHz)免許が
遅いのでRCCHへ行った所、CE3BOC(事務長)、CE3NWQ他とアイボールできました。連盟内を案内して
もらう一発目から、クラブ局CE3AAの運用をOKされ、JA方向にANT(TH6DXX)を向けてくれました。ICOMの
リグでした。あいにくJAはかすかに、28MHzで入感するのみでQSOは出来ませんでした。ここの運用は
AM10〜PM1時、PM3〜9時(3月から8時まで
@チリ時間)の間自由にしてよいという許可をもらいました。
自分のライセンスは今週中にと言ってますが、もうあてにしないで待つ事にしました。(今、3ヵ月分滞留が
あるそうな・・・)
仕事はハード&不規則なのでコンディションとうまく合わない事も多いと思いますが、伝搬状態(BAND別)を
教えてください。(JF3LGC [RTTY]→CE3GDN[FAX]→JH3QNH)
次回オンエアーした時、JA局をつかまえTELでもさせます。(その時いそうな局へ)
*速報 25日の朝07:50JSTに28MHzでCE3AA(山下君)とQSOできました。
(以下は、帰国後にJH3QNHが書いたものです。)
JH3QNH/山下貞夫
<はじめに>
最初に断っておきますが、私はスペイン語が全く分からない状態でCEを訪れ、その中で現地の方と
コミュニケーションをしていますので、記載中に過ちがあるかもしれません。発見された方はそれを
是非教えて下さい。
<免許申請>
昨年11月中旬に突然「南米チリ共和国(CE)」へ行ってくれないかと上司に言われ、正当な断る理由も
無いし結局承諾してしまいました。実はこの時不安がいっぱいあったのです。言葉が分からないのに
どうやってメシにありつくか! 誘拐されて殺されないか!!…
しかし、ひょっとしてCEで無線が出来るかも知れないと言う可能性を知ったとき、これらの不安は無線の
期待に負けてしまったのです。
当初12月頭の出発予定だったので時間がありません。出来る事からとパスポートの要らない局免の英文証明を
請求しました。従免の英文証明はパスポート取得後出しました。これらと平行して、たしか春にCEφから
誰か出ていたと言う微かな記憶を頼りにJG3KUT局を突き止めコンタクトしました。
彼はCEφの友人を通じてチリ連盟(RCCH)に免許申請したそうで、2月に出して丁度2ヶ月間で返ってきた
と言う。私は知り合いも何もないので直接RCCHへJG3KUT局から入手したアプリケーションとJA免許のコピー、
パスポートのコピー、局免の英文証明等を郵送しました(11月末)。
幸い日程が2月まで延期になったので時間的余裕は出来ました。(うまく行けば出発までにCEのライセンスが
入手できる)一方、JARL国際課へ電話しCE連盟に関する情報、免許に関する事を聞くものの直接的なものは
得られなかった。(世界連盟の名簿からの抜粋、英文のJARL会員証明書)。
後日、’89年に取得したJH1FNS/CE3太田氏からJARLへの手紙+資料をいただいたが、遅すぎた。こんな
参考になるものが最初に頂けたらどんなによかった事か。
<神様の出現>
RCCHへ申請書を発送して約一カ月たち、無事に着いたものか不安いっぱい。そこで12月24日の夜にKDD
しましたが、番人しか居なくて分かりませんでした。
年が明けてもまだ確認が取れません。時差と言葉の壁に挟まれて私一人ではどうする事も出来ません。
いらだちが最高潮に達しました。
’89年12月のCQ誌に「日本人による海外アマチュア無線局の運用」CE編があり、ここに出てるJA2PLT/
中川氏宅に電話をしました。ところが彼はJICAの仕事で今ドミニカ共和国に行って不在との事で、JICA
ドミニカ事務所の連絡先を教えていただき電話しようと思っていた矢先に中川氏から私宛にFAXが入りました。
FAXには中川氏のライセンス入手方法とCEに関するアドバイスが書かれており大変参考になりました。
また彼はHI8AXのコールでAMTOR/BBSを毎日チェックしてるので何かあれぱメールをとおっしゃって下さい
ましたが、私はAMTOR設備を特たないのでもっぱらFAXと電話でやり取りしました。
彼との出会いは私にとって神様が出没したようなもので、見ず知らずの私のためにライセンスの状況確認の
ため、あちこち当たって下さいました。さらに彼の勧めで、もう一度直接CEのテレコムへ申請する事も考えて
いたのですが、最終的に1/MにCE3GDN DON経由で「現在処理中でもうすぐ下りるだろう」と言う素晴らしい
回答を得たのでした。
ちょっと脱線するが、チリ滞在中にドミニカではJICAの方が襲われ亡くなられている。この報に接したとき
背筋がゾッとしたが、名前を見て中川氏でなくてホットした。でもショックだった。
出発まで余り時間が無い。今許可が下りても郵送してる時間がないので、下りたらとりあえず許可書をFAX
してと頼んだ。これはCEの税関で無線機が引っかかるのを心配したのだが、CE3GDNはJAのライセンスを見せ
とけという!本気かいな?
ブラジル・サンパウロ空港で乗り換え
<ココムにコリゴリ>
ここで機材類の事である。例年JA3YAQのDXペディは大勢で行くから一人分の荷物は知れているが、今回は一人で
ある。リグ(FT−757)、電源、ANT(2ele+DP)、ANTチューナー(FC−1000)、リニア(FL−2100)、同軸etcを
全部持てるはずがない。そこでしたたかに仕事道具の中に追加して正規に輸出する事にした所までは良かったが、
これがまた大変で、これらがココムや米輸出貿易管理令に該当しない事を証明する書類を要求されてしまい、
八重洲無線に泣きついて書類を頂きました。(藤田さん、増田さんありがとうございました。チリは共産圏では
ないが、第三国経由で共産圏へ行く可能性があるので要求されるそうな。W,VE以外は要求されるみたい。・・・・
我社だけかも?)
手持ちはヘッドホーンとメモリーキーヤーだけになりました。
<地球は大きい>
2月5日出発。ライセンスが下りたとの報は無し。大阪→成田→ロサンゼルス→サンパウロ→サンチャゴと延べ
35時間ほどかかる。通の方は成田→ニューヨーク→マイアミ→サンチャゴを使うが、初心者は上記の方が
飛行機会社も一本で行けるし、乗換時に入国しなくていいので楽である。
日本を出るときはジャンパー姿、ロスでも丁度良い、サンパウロは早朝なのに蒸し暑い、サンチャゴは暑いが
湿度は低い。着いた日は32℃あり身体が付いて行けずのぼせてしまいそうである。
途中のアルゼンチンのパンパと呼ばれる大草原は壮大であったし、アンデス山脈は飛行機の高度とそう差は
なく見えた。アマゾンはあいにく夜であったので見えなかった。
サンチャゴの税関検査は傑作で、ゲートにあるボタンを順番に押させて少し先にある赤ランプがつけば
カバンを開けてチェックされ、青ランプならフリーパスである。この要領がわからなかったので、青ランプの
ついた私は訳のわからぬまま早く行けと言われ、気がつくといつのまにか外に出てしまっており、迎えの
顔見知りの人と合流できたのである。
サン・クリストバルの丘からサンチャゴ市街も見下ろす
<CEについて>
チリは南北4200Km、幅180Kmと細長く熱帯からツンドラまで備えている国である。
1540年スペインの侵入で以後約3世紀間植民地とされたが、1810年代に独立した。1970年に選挙で出来た
アジェンデ社会主義政権は1973年9月11日
軍のクーデタによりピノチェト軍事政権となった。1990年3月から
民政になってはいるが、ピノチェトは将軍としてその力を保ったままとのことで、完全な自由国家でない事
だけは確かだ。
一度ピノチェト一行と出会ったが、前後に白バイと警護の車を引き連れベンツで信号もおかまいなく走り
抜けて行った。面白い事に彼の家にはアマチュア用と思われるHF八木ANTが上がっていた。・・・・・たぶん
そうだと思う
町には警察官が多く、たいがい防弾チョッキに拳銃または自動小銃を持っている。この写真を撮ろうと
何度も試みたが、ことごとく拒絶され、写真を撮らしてくれなかった。時々テロがあるそうだが、よく
分からない。
言葉はスペイン語。教育水準は高く6才から18才まで義務教育である。ラテン特有のいい加減さは無く、
時間も正確で考え方もどちらかと言うと日本的なので親しみやすい。
学校は紺色の制服で、これが日本のと良く似ている。3月中旬からが新学期で帰国する頃に、突然制服が
町にあふれてびっくりした。
<美人大国>
HI8AX中川氏からチリは美人が多いと教わってはいたが、これがまたすごい!すごい!確かにいっぱいいる。
目につくのが胸の大きい事(日本で大きく可愛い子の割合とCEのペチャの割合が同じ…?)。上半身が
大きくても足がスマートできれいな事!!。特に白人系は顔立ちがきれいですっきりしている。しかも夏なので、
露出度のすごいのが町中にあふれており、単身出張してる者に取っては刺激的すぎる。JE3QBGがよく探検する
その手の場所はサンチャゴにもあるそうだが私は行ってないので詳細は分かりませんでしたが、運転手に
聞くと最高級なのがインターナショナル・レディと言って200ドルと聞きました。
これも慣れか、だんだん目が肥えて来るのか、そのうちどっかにきれいなのはと探すようになっていました。
<Busy&Busy>
さて、到着直後から仕事に追われる始末で、しばらくは無線どころではありませんでした。しかも無線の
事がバレ、上の会社から正規に許可を受けてもスペイン語の話せない者が電波を出してトラブルになったら
困る。ここには秘密警察もあるのでやるなと言われしょげていました。CEのライセンスはお土産とすることに
しました。
JA出発前の最終情報では2月早々に下りるはずだったが、到着後RCCHに直接電話して聞くと、聞く度に
1週間延びる。RCCHで決裁する訳でないから向こうも困っていたのである。この時未処理分が三ケ月分たまって
いたそうで、私の出したのが丁度12月中旬でクリスマス休暇前、新年の休み、夏のバカンスとタイミングが
最高に良かったのである。
2月9日にCE3GDNがホテルに来てくれたのですが、会えませんでした。彼には謝りのFAXを打ったついでに、
JF3LGCとHI8AX宛にAMTORでメッセージを送ってくれるように頼みました。これが結構便利で何度かお世話に
なりました。
<RCCH訪問>
2月13日RCCHに電話したらまた延びた。らちが明かないと2月19日夕方にRCCHに乗り込みました。
入り口は頑丈そうな大きな扉で電磁ロックで鍵がかかっています。インターホンで呼び開けてもらいました。
応対してくれたのは事務員のCE3NWQ(オスカー)とエンリッケ(Call忘れた)、第一秘書のCE3BOC
(エドワード)、CE3HVT(オスアルド)であった。CE3BOCは実質的なボスで挨拶の後、連盟内を案内して
くれました。 事務所の二階がクラブ局CE3AAのシャックと応接室、書斎。別棟に講堂と講習会用の教室があります。
教室の壁にはRCCHの活動紹介の写真があり、この中にレピー夕設置状況のがありました。CE3BOCの説明に
よると海抜5000mの地点に2mのレピー夕を設置したそうで、この時は空軍のヘリを使ったそうです。
電源はソーラー。このレピータは強風で飛ばされたそうですが、他にも数千mクラスのレピータはいくつも
あるようだ。ここでも不届き者がたくさん居るそうで止める事が多いみたいです。それにしても空軍の
ヘリにはおどろいた。
チリの無線連盟の前で記念撮影
この日始めてCEから電波を出す事が出来た。CE3B0Cはシャックに案内するや電源をいれてワッチしだし
ANTを東に向け、私に向かってやれと言う。
QNH「なにー?! まだライセンスもらってないぞ!!」
BOC「どうもない。」
QNH「ケー?」(スペイン語です)
どうやらここはゲスト0Pが良いのかなんか分からないが、JARLを除名される事もないだろうし遠慮無く
マイクの前に座りました。CE3BOCは下にいるからと下りて行きました。
さあやろうとしたが、さてコールサインがわからない?
あわてて下りかかっているCE3BOCをを止めて
「CE3AAで良いのか?」と確認しました。
この日はコンディションが良くないのか28MHzでかすかにJAの信号が聞こえるのみ。5分ほどであきらめて
QRTしました。シャックは事務所が開いている時間は自由に使ってよいと許可をもらったので、また来ると
この日は退散しました。
CE3AAを運用中のJH3QNH
<CEのTV>
チリのTVはNTSC方式で日本と同じです。サンチャゴには6局あり1局だけが24時間放送していました。
番組は日本と同じような物ですが、出てくるYLが美しいので見ていても楽しいです。子供向けの漫画は
「アルプスの少女ハイジ」「ピーターパン」など日本製のをスペイン語に吹き替えてやってました。
到着して数日後気がついたのですが、TVの時刻表示が局によって違うのです。日本では考えられないが、
20秒ほどずれており、しかも日が経つにつれ大きくなり1分近くまで差がでました。ここでは一日に数十秒
狂っても関係ないのでしょう?
この時間のズレはRadio Japanの時報からどの局も狂っていた事が分かりました。
<バルパライソ>
バルパライソはチリ最大の港湾都市で、サンチャゴから2時間弱の距離です。海は南極からくるシーボルト
海流のため水は渓流のごとく冷たく、またこのせいで気温もサンチャゴより5度は低くなります。仕事で夜に
来たときはセーターを着込んで丁度いいくらいでした。
ここの北隣の町がビーニャと言う所で、夏のバカンスでにぎわっています。高級ホテルはアルゼンチンの
金持ちでいっぱいです。この地区はCE2のプリフイックスで、アマチュアのANTはあるある。・・・アイボールは
ありませんでした。
ここで唯一町を歩いていて日本人に会いました。と言うより向こうから懐かしそうに声を掛けてきたのです。
「日本人の方ですか?」・・・・・と、この人は大洋漁業の方で単身バルパライソで漁船修理のため滞在
していると言ってました。
<アコンカグア山>
サンチャゴから北に1時間弱行ったところにロス・アンデスと言う町があり、アルゼンチンヘの入り口に
当たります。小さい町ですが中心には公園がありきれいに整備されていました。
休日に南米最高峰のアコンカグア山(約7000m)を見ついでにアルゼンチンヘ行こうと行ったんですが、
あいにく私たちは国境手前の検問でひっかかりそれ以上行けませんでした。
車で国境を越えるには車の所有者と警察の許可書が必要で、それが無かったのです。人間の通過は全く
問題がないのだが・・・・車を置いてヒッチハイクをと考えたが危険なので止めとけと言われたので止めました。
そのかわり大変きれいな景色を満喫できました。標高3100mのここは、写真を見てお分かりのようにまるで
カナディアン・ロッキーとうりふたつ。後ろの山々はかるく5000m以上で、すぐそこに万年雪がありました。
冬はスキー場となります。
山の向こうはアルゼンチン
<ハムショップ>
サンチャゴの無線機屋さんはいくつかあるみたいだが、KENWOODを扱うGALLYAS社はホテルから歩5分の
場所にあった。いくつもの建物に分かれて手広く商売をしているようで、どこに何があるのかさっぱり分から
ないので、適当な建物に入ってセニョリータ(お嬢さん)に「アマチュアのが見たい」というと別の建物に
案内してくれ、そこの責任者みたいな人に言ってくれたとこまではいいが、このセニュール(おっちやん)
先客と話がこじれているのかどこかに行って帰ってこないし、ここには面白い物もないので、秘書の
セニュリータにまた来るからさっきのセニョールによろしく言うといてと断って出てきました。結局二度と
行きませんでした。
主にヤエス商品を扱うのがCOM CENTOR社で場所は少し東よりです。ホテルと仕事場の中間点でしたので
何度か寄る機会がありました。ここは扱う商品毎に窓口が違うみたいで、アマチュア関係は左端、修理は
中央でした。
ここに最初に来る用事は、持参したエレキーのヒューズが切れたためでしたがありませんでした。しかし、
サービス窓口のMarcela嬢は優しくて愛想が良かったので楽しかったです。ホテルの電話番号聞かれたが
あいにくメモがなく分からなかったのが残念だった。
二回目はJAには売ってないパッチユニットを買おうと思い訪れた。販売担当はJulian(CE3TR)で英語+
スペイン語で雑談交えて値引き交渉した。フォーンパッチはRCCHシャックにもあったので合法だとばっかり
思っていたが、正式には許可されていないそうだが、問題はないという。私はJAでも許可されてないし、
使うのも問題があると言うと、それじゃどこで使うのかと聞かれた。
ガァハハハとおー笑い!!
JulianにホームからQRVしてるかと聞くと、シャックはXYL(CE3ML)がLUとラグチューしてるし自分は疲れて
ほとんど出ないと言っていた。JAでも聞く話だなと同情しときました。
COM・CENTOR社のサービス窓口のMarcela嬢
<CE3/JH3QNH>
3月7日(土)午後オフィースの人がいないうちに7MHzのDPを上げてしまった。仕事をしながら7,21MHzを
ワッチするもJAはかすりもしない。翌、日曜日は5時起きでまだ暗いうちに一人出社し7MHzを運用した。
初めての自前の無線局である。日の出までにJAと約20局QSO出来た。日が上がると途端に信号は弱くなり、
日中はLU,PYあたりしか出来なかった。夕方には跡形もなく撤収した事は言うまでもない。
実はこれをやる前の6日の金曜日にオフィース裏に偶然にもあった、ヤエスの輸入代理店MULTITEK社を
訪れました。ごく普通の家なんですが、支配人のMariaおばさまにあんたとこのタワーにANTの片方を
つながしてと頼んだんですが、ブレークダウンして危険だからだめと断られました。ここで使うのなら
良いと展示用のFT−747を動かしてくれるが、わたしゃいま仕事中で、抜け出してきているのでゆっくり
QSOなんかしてられません。さいならとあきらめて帰りました。
<CE3GDN>
3月14日夕方、ホテルで打ち合わせ会議をしていると、フロントから電話で来てくれと言うので、また支払の
ことかと考えつつ行ってみると大きな外人(失礼)がおり、瞬間それがCE3GDNだと分かりました。さっそく
レストランで話し込んでいると、後からXYLと2ndも入ってきました。家族で会いにきてくれたんです。
2週間ほど音信不通でもう会えないかと思っていたので、感激でした。彼は食肉輸入会社の偉いさんで、
南米各地を回っていたのでこれなかったようです。
30分ほど雑談後、突然自分の家にこないかと言い出し、私が「困った・・・・!
今打ち合わせ中なんだ
けど・・・・・。
今日は運転手もいないし・・・!」と悩んでいると、自分が送り迎えをしてやると言うので、
ここは仕事を他の者に任せて行くことにしました。
CE3GDN
ホテル前の駐車場でビックリ!! 車はBMWのスポーツ・タイプでCEでは超最高級クラス。そして、彼の家は
サンチャゴ東郊外の新興住宅街で市街の町並みとは雰囲気が全然違い、一区画も大きく出来ています。
ドナルド宅の庭は芝生がきれいに手入れされており、プールもあります。
シャックは2階12畳くらいの広さの一角にあり、HF用にTS−950D,6m用にTS−670があります。HFリニアは
USA製のトランジスタ使用300W?品。ANTは、WARCを含んで3.5〜28MHzバンドの八木,GP,DPを机下の
同軸SWで切り替えています。
近くに山に自前の2mレピータ(無許可)を設置してローカルのXQ3??等とリンクしており、常時ワッチ状態です。
(そう言えば販売店にはどこもたくさんレピータが売ってあった)
ドナルドのシャックから初めて6mにQRVしましたが
誰も応答してくれませんでした。HFもコンディションが良いとは言いがたく、かろうじて24MHzでJAとつながり
京都各局ともQSO出来ました。おまけにクリッパートン(FO)とも何の苦労もなくQSO出来ました。
ホテルにいるときから、時間を気にしていたんですが、ドナルドが制限無いというのでPM10時過ぎてもやって
たら、もう止めようと言い出したのでかたずけだしていると、今度はドナルドがパソコンのキーをたたき出し
AMTORをやりだしました。このおっさんもやっぱ好きもんだというのが分かりました。結局帰ったのはPM11時を
回っていたかもしれません。XYLにはベッドの中で、ドア越しに「グラシアス!!」としか言えませんでした。
帰りの車中で彼がアメリカ人で1O年余り前にCEに来たというのがわかり、Wへ帰るかどうかはわからないと
言ってました。XYLがチリ人なので住む事に支障はないのでしょう。
<FIDAE'91>
毎年開催されている航空ショーで近郊の空軍基地でありました。たまたま最終日に行くチャンスがありました
ので、迷わず開門前から並んでました。日本の基地祭なんか比べもんにならないくらい派手で、ひっきりなしに
デモフライトをしています。CE製の戦闘機、ハリアー、イントルーダ、F−16、大型機からの照明弾、空挺部隊の
パラシュート、SR??(スパイ偵察機)、アクロバット飛行、極めつけは湾岸戦争でデビューしたレーダーで
見えない戦闘機B−2です。実物を見た日本人はそんなにいないはず。
FIDAEは飛行機だけでなく、民間機、軍用機を問わずそれに関わる無線機、航法装置、服装、ミサイルなど
世界中の企業が展示していました。後でわかったんですが、この中でRCCHもブースを開いて何かやっていた
そうです。多すぎて全部見て廻れなかったので、その時は分かりませんでした。
<B−767>
B−767のコックピット
行くときからコックピットを見たいと頼み続けていたが、”1−A”という座席番号が良かったのか、帰路4度目に
してやっと見る事が出来た。最新式のB−767でまだ新しい。計器はたくさんあるが、大きなディスプレーに映る
レーダー、航路情報、姿勢情報。スロットル後ろにあるHF,VHF無線機類をじっくり見る事が出来ました。
機長は我々と雑談をし、副操縦士は時々地上と交信していますが、ポルトガル語なのか内容は分かりません。
初め5分も見れば追い出されるだろうと思っていたのに、一向にその気配はなく、しまいにはランディングも
見ていくかと言う始末。前方にはサンパウロの夜景が広がっていました。
機長は時々、中央のツマミを回す
だけでその都度機体は方向、高度を変えて行きます。まるでテレビゲームです。結局着陸も自動でILS電波に
乗って見事に到着しました。
帰路はサンチャゴ→サンパウロ→リオデジャネイロ→ロサンゼルス→成田→大阪と若干の遅れもあり40時間も
かかりました。
<最後に>
帰国2日後に7J3ABO(K8AQM)TEDを見送りに行ったら、すかさずTEDからスペイン語と英語が混在してると
指摘をされ、XYLからは「Yes!」を「Si!」と無意識で言ったもんだから、顔を歪めて”なにー!”て言われ
ました。必要に迫られると覚えれるもんなんですね。
初めての海外からのQRVで、何も分からずに始めた私を多くの方が支援して下さいました。アマチュア無線が
国境を越えた友情を築く事を体験し、「King of Hobby」と言われていることを納得しました。
あらためて、皆さんありがとうございました。
「Gracias」 「Hasta la vista」
(おわり)
(この記事は1992年3月から8月京都クラブ会報No.263-268に掲載されたものです。)
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Last Update May 12,2000