**1990年3月**

<<<8Q7(モルディブ)>>>

8Q7レポ一ト
             JR3OFX/児玉 和子

 3/5日いよいよ8Q7に向けて出発の日がやってきた。ダイビングでの参加者、メーカーの人、無線をする人の
メンバーで16名、私は大阪空港でFirst eye ballをする事になった。今回参加するに当り、どうしたら
行けるだろう、方法は?悩んだし、迷ったし、でも何か行ける手段はないだろうかと知恵を絞り、やっと実現できた。
今、置かれている主婦という立場上、何かと女性は不利な事が多く私の家庭においては、特別なのかもしれないが、
子供達(中三の男の子、中一の女の子)がよく協力してくれたと思う。母親もひとりの人として、自分のはばたける時間が
欲しい。認めでもらっていいのではないかと思う。 その間、留守宅ではそれなりにシチューを作ったり、何か新しい事を
やる新鮮な トキメキを感じて頑張っていてくれたみたいで、私のわがままというか、欲望の 満たす裏側では、良い経験を
していたみたいである。世間から非難に似たぎわめ きが聞こえてきそうで、その声と声の中で戦いながら、エイ一!と
飛んで来た。 良かった!今は満足感と余韻で満たされ、さあこれから頑張るぞ!と次へのエネ ルギーとなり、精神的にも
肉体的にも健康的な生活が送れそうである。  前置きが長いが、さて問題は福岡から始まった。福岡で前もって
空港止めにし てある機材類を引き取り(JA3AUQさん達は無事に着いているかどうか心配 されていたそうである)
搭乗手続を始めた所、まず荷物の重量オーバーである。 20Kgのムセン機が3台、マスト、アンテナ各個人の荷物、
この中には16人 中、13人分のウェットスーツ等も含まれている。オーバ一分の請求額がなんと 30万円、往復すると
3人もご招待出来る値段である。この交渉は、日栄ムセン の社長である志磨さん(JA3BKW)と長谷川さん(JA3AUQ)が
行なっ た。結論は、ムセン機を一台見捨てる事になった。そして別途費用(運賃)は6 万円支払う事となった。
ここで富嶋Dr.(JA4VUQ)と合流した。私(JA30FX)は、 JR宇治から京都駅へ、その列車で田中さん(JR9BRR)と
合流、空港行パス停で志磨さんと息子さん(JJ3WLC)と合流、4人で一路 空港へ、名神のトンネルもスムーズで
予定より早く到着。ツアーのフロント前で JA3AUQ、ギャル3名、井上さん、堀井さん(JF3LVU)、小原さん(J L3TXN)
YAESU氏と初めましての挨拶をかわした。この時思った事、こ の若き本当のYLさん蓮に私は対応出来るであろうか、
正直な所ついていけるか ?それにひきかえ弘道君はとってもステキなさわやかな青年として、目に写った。 後できいたが、
ギャル達に私はスズメの巣?というあだ名をつけてもらっていた らしい。ムセン機の税関での検査の後(ムセン機が
ココムにひっかかるかどうか 審査をうける)、無事福岡を出発。途中そんなにひどい気流の変化もなくスリランカ の
コロンボ空港に着、個人の荷物のみを受取り(機材関係は直接8Qまで交渉済。 さて、Hotelへという所で、東京からの
松井君(JFIJUL)(のちに、 カセットboy君と呼ばれる)がカセットを機内に忘れたと騒いでいる?のであ る。その間
どれくらいの間クギづけになっただろうか。機内の中は掃除を済ませ てゴミは捨てられたという事で最初はゴミ捨て場に
探しに行ったのかな?それか ら速〜い飛行機までカセットを求めて行ったみたい。時間は刻々と過ぎ、JA3 BKWさんが
ひとり残ると言われ私達はひと足先にHotelに行く事となった。 するとパス停?で荷物を積んでいた時、現われたので
ある。カセットboy君が。 みんなワアーツ!と歓声を上げ、拍手をしたのである。これで一件落着。政治情勢?の事で
ひとり歩いていても大丈夫かなとかなと心配をしたが、まあ無事一人も 不明にならなく、カセットも戻り16名でHotelに
着いたのである。パスの 中でベンジヤミンのレイを各自もらい甘い香の中、闇の中へパスは走り続けた。 途中で
従業員を下車させながらの走行である。普通ならお客さんを送り届けてか ら社員が帰宅だと思うのに、囲り道をして
いるのかよく分からないが順番に下車 してBusyである。夜中に着いたのでどういうロケにあるHotelか内容 は
分からなかったが、なかなかFBだった。部屋の中は何となくうす暗く隣りが JR9BRRの部屋だから何かあれば
呼べばいいかとの安心のみで、シャワーを 浴びる気力も勇気もなくベッドに入った。すると突然すごい音、ガラスが
それも 瓶などじゃなく窓ガラスのような割れる音、何かが、誰かがおそって来たか?ビ ックリして、どうもないだろうかと
気にしながら寝てしまった。朝目覚めると、 部屋の前は芝生にやしの木があり、ピィーチが広がっていた。バルコニー
から海 を眺め、皆なで写真を撮った。朝食はバイキングでまあまあFB。目玉焼きにベ ーコン、フルーツetc、おいしく
頂いた。皆んな朝は飛行後の時間があるので ゆっくりと寝られると思っていたのに6:30にモーニングコール。そして、
朝食後昨日のマイクロバスで市内観光となった。朝市に似たFishマーケットの 申などを走りぬけ、一路土産品屋さんに
立ち寄り空港へ、途中はサモアのごとく 馬、子イヌetcが道路のそばにいた。さあモルディヴフルレ空港にソロソロ着くと
思った時、窓から日に入った景色に歓声!島の囲リをとりかこむリィーフの 囲リの水の色、何色とたとえればいいのか、
エメラルドG?コバルトブルー?J Aでは考えられない海の色であった。やはり世界で1〜2位のダイビングのメッ カの
地であった。シヤッターをと思うだけで目は素晴しい色の美しさにクギ付け となった。当然、機内の中でCWの練習が
出来る状況ではなかった。通関後、 (ムセン機はポンド扱い。免許を取得してからとなる)砂地の上をゴロゴロと
荷物を引っ張り、ドー二船へ(島と島を結ぶ海のタクシーというか唯一の交通機関 である)免許取得について、
テレコムがPMI:30で閉館なので、スウランカ から何度かJA3AUQ氏がコンタクトを試みて下さったが、やはり
到着日27 日の電波は無理となった。8Qは官庁関係はAM7:30〜PMI:30まで仕 事で金曜日が休日となっている。
 27日PM2時頃かな、モルディヴピリンギリIS.に着、島全体がリゾート で島内すべて(と言っても売店、Coffee shop、
カフェパー、食堂、 フロントしかない)ルームNo.とサインでOK、チェックoutの時に清算と なる。US$カードOK
(VISA.JCB.etc)各部屋の割り当てが決ま り、ホット一息これからAntの設営にとりかかる。Hotelのフロント
(イ ンフォメーション)から左右に部屋が並び、モルディヴの中では大きいリゾート Is.である。 (ベッド数200以上)
私達はフロントより右側でJA方向に開 けていた。年寄り組?(60番台のルームNo.)はクーラー付きの部屋で
若者?はムセン室(No,1となる一番端)よりの10番台、私はNo.14だった。 しかし、フロントからNo.1まで砂地を
10分以上も歩かないと着かないという 距離てある。ジュースetcを買いに行くのも食事に行くのもこの距離の往復である。
これはすごい運動量でダイエットになったとひとり喜んでいたのは?おや つのケーキと行ったJAのアイドルタイムというか
お茶の時間というより、嗜好 品がなく、滞在中食べたのは、三食だけである。すこぶる健康的な食生活をしていたと思う。
しかし水分不足でJAでは水分を意識しないで飲んでいるが、特に 飲む物がなく、ジュース、ミネラルWater etcを
買わないと何もないし、 だからギャル達も含め、水分不足による便秘ぎみであった。食事の時はお昼から軽いビールを
飲んでいた。お天気は本当にジィリジィリ焼けつくような暑さで、 ビール付。そんなに冷めたくないが、やはり最初の
ーロはおいしい。生きたここ ちがする。27日は無事アンテナの設営で終わり、食事の後はカフユパーでみんなと
いこいのひとときを過した。翌日は、やっと免許を手にして第一声を出せそ うである。  むし暑いなれない部屋で
最初の夜をむかえた。天井にJAでいう音の扇風機 (お風呂屋さんで回っていた形)が回っていて、木製ロッカー、
ドレッサー、サ イド机(のようなもの)電気スタンド、べッドがあるだけで、心細くなるような 暗さである。  ドアに鍵を
かけていても、何かへんなのが来ないかなと被害妄想におちいって しまう。  窓はサモアと同じガラスのスクリーンで
カーテンはある。シャワーは分散式で 水も豊富だがゝ地下水といっても塩分が含まれており海水を薄めたのと同じ
であ る。ああ、JAではコックをひねるとお湯が出て、熱いお風呂に入りたいとメン バー達(私も含む)は最後まで
言い続けてたみたい。睡眠時間は短く、いつも2〜 3時間寝れば目を覚ましていた。  朝食は7:00からで、最初に
そのテーブルで食べれば、滞在中はずうっと同じメ ンバー(4人で1テーブル)で同じ所でというルールがあり、
ウエイターさんも 同じ人である。お早ようございます、目玉焼? 紅茶? と日本語で声がかかる。  朝食はパン、
coffee or tea、玉子料理、ジュースとジャム、パターで、玉子は、 スクランブルエッグ(けっこうボリュームがあり
JAみたいに大きくないが、食 パンの上にのってくる)フライドボイルとオムレツの中から選ぶことが出来る。
 毎朝ジュースで、AUQ、VUQ、LVU and OFXはおはようと乾杯から 始まった。さあ、ド二一は予約してあるし、
9:00からテレコムに向けて出発で ある。船着場では、引潮で、船の上に飛ばなければならない状態になっていた。
JAのポンポン船のような(シドニー船)ので出発。  海は雑色の深い色で、すこしイオウの臭いがするが、海面も
浮遊物がなくきれいである。 浅い所は透明度も良く底の砂地、魚などが見えるのである。そして、 モルディプの首都で
あるマーレに着き、 約5分の道のりをテレコム(郵政省)に 向って歩いた。  窓口でAUQさんがコンタクトし、2Fの
応接室といった所(それにしては細長い部屋)に案内され私たちは待った。 さてそこに現われたのは、(名前を忘れた)
係の人で貴往者は会議中とかでディレクターの代理の方だった。さあ、免 許の手続が始まる。収入印紙と申請料の
支払の為、現地の貨幣の両替に銀行にLVUさんとBRRさんがここの職員の人と出かけた。 私たちは支払の為
US20$ずつ集めた。注目すべきは自分の希望のコールサ インをもらえるかどうかだが順番という事で、何が
来るか分からないことになっ た。(もし、3ケタのアルファペットが可能なら、OFXと言ったのに)  免許期間は
3ヶ月間。一年間の申講も出来るが料金は高くなる。再申請をすれぱおなじコールサインが許可されるとい う
ことである。さて、免許証の作成中、待ち続けた約1時間30分位かな?この間に、QRVをするにあたりどの
コールサインを使用するか運用方法を話合った。  全員が自分の許可されたコールサインで出ると、一人で
各バンド8局と交信することとなり、強い局、出来る局は全部 出来るが出来ない局はできないという結論となり、
バンドごとにコールサインを決める事になった。  私はラッキーな事に21MHzSSBで運用可能(私の許可された
コールサイン)とな った。実は希望として、21MHzと手を上げて発言した。JA3AUQさんはRTTY を希望されて
いて、JA4VUQきんはローバンド、特に1.9MHzにかけられていたので、うまく話しがまとまった,(私はそう自分で
信ているが)CWはJA9BRRさん。  そして、今回の目的はJAのピギナーの方々にDXとコンタクトする楽しみを
知ってもら おう!DXと交信するきっかけを作ってもらおうという事であったので,やはり21MHzのSSBでサービス
しようという事でお った。   さて、贈呈式?である,自分の免許証を受取リサインをする。first nameがKAZUKIに
なっているではないか。まあ仕方がないか!それにMr.で  あった。私のコールサインはDMとタイプされていた。
ああ、それならDJが欲しかった なあ。5W1IJだし、DJが良かったと自分で勝手に思った。DJはJF3LVU局におりた
コールサインだった。そして別の話だがJR3ERA局という人がLVU局の知り合いの友人にいる事が分かり、この
コールサイ ンも欲しくなった。  帰国後、偶然に、first QSO(21MHz)、アイボールQSOとコンファ−ムが出来た。
 無事手続き完了後、玄関前で撮影となった。この建物はJAからの出資で建てられており、 ちゃんとJAPANと
名前が入っていた。日本は、色々なところに経済援助をしているんですね。  出発前、ガイドブックに8Qの切手は
大変美しいとあったので、窓口で買っていると日本語の上手な青年が現われ、 彼はJAに3年間住んでいて、
XYLさんはJA産だという。 じゃあ、本で読んだレモンきんというJAの経営者である土産物屋さんはお宅ですか?
という 事で別れた。さて、再会が楽しみである。  マーレからヌドーニ船でフルレ空港に向った。最初、船が何処で
待っているのか分からず探すのに苦労した。 言い忘れたが、免許申請したのは8名である。

 コール(免許人)        主な運用モード  
8Q7DH(JL3TXN)   24MHz/SSB,CW  
8Q7DJ(JF3LVU)   21MHz/CW  
8Q7DK(JA3BKW)   14MHz/CW  
8Q7DM(JR30FX)   21MHz/SSB  
8Q7DN(JA3AUQ)   14,21MHz/RTTY  
8Q7DP(JR9BRR)   7,10MHz/SSB,CW  
8Q7DQ(JA4VUQ)   1.9,3.8,18,24MHz/SSB,CW  
8Q7DR(JOIJUL)
 

  14MHz/SSB  交信した結果論はJAの開けた時間帯が短かったのと,もう少し滞在期間が欲しかったなあと思う
。私違は好き勝手な事を言いあって誰か残り(AUQorVUQ)帰ってから 僕がコンタクトしたいよ(RTTYでの交信ete)とか、
機材を残し、固定局を開局し、JAから来た人にレンタルしようとか、お店を出して滞在しようとか言い合っていた。 そして、
お互いにムセンキチガイだとか本当に好きゃねとか目の前を言葉が飛び交っていた。  すんなりと空港でムセン機を
受取っている間に、私とカセット君でジュースを買っておいた。暑いし、テレコムでお茶は出ないし、 のどはカラカラ、
take outは缶入りでコーラとスプライトしかなかった。  船着き場で飲んだがおいしいね。ちょうど12:00項ドーニ船は
やっとビリンギリに向けて出発した。到着後すぐに昼食タイムである。  いつもバイキングスタイルで、細長いスライス、
肉、魚、チキンetcの煮物、野菜のカレー、ピリリィとからい魚のから掲げ、キャベツ、人参、玉葱etcの生野菜、ゼリー、
ケーキ? たまにプリンなどのメニュー、これが一週間毎回同じである。飲み物はやはり、ビヤー! そして、紅茶で
finished。一時間位食事タイムをとっていたと思う。  重ーーいムセン機を砂地の上をゴロゴロとポーターさんに運んで
もらった。一号室に設置完了である。後は、第一声のJAが聞こえるのを待つばかりである。私はこの時間,何をしていた
のか記憶になく第一声を聞いていないのである。  2月28日私の知り合いで最初に交信できたのは、JK3DEVさんだ。
今回は恵まれていて、オペレーターの人が少ない?AUQさんはRTTY、VUQさんはローバン ドとRTTYと自分の希望が
有り、21のSSBは当局にまわってきた。誰だって自分の 知っている人と交信したいものね。中にはRTTYにおいて毎回も
呼んでこられる局も有った。 夜あまり寝るられないから、4時位から起きて行くとVUQさんが夜明けを前に1.9、3.8MHzに
挑戦中である。 この時は本人いわく顔つきがかわる真剣そのもので、すごい集中力である。  この1.9のインパーテッドVを
上げるにあたり、1O$で現地の人に椰子の木に登ってもらったのである。28日夕方準備中に電気 関係の人?が通り
かかり、偶然というか椰子の木に登るのは簡単だという事で、仲間の人を連れて翌日A.M8:00に約束したのである。
足に滑り止めとなる乾燥した8の字にした葉を両足に巻いて登って行くのである。そして下からマストを渡し、もう一人が
登り二人で 翻子の木のてっぺんにマストをおいた。たしかひもも使ったと思うが、ガムテープをぐるぐるにまきつけて固定した。
それから、75mの銅線をどう引っ張るかである。椰子の木の間をぬって5W1でPLF局が試みていたのと同じ方法で石を
付けてエイッとなげて 葉の間をくぐりぬけようと何回も挑戦した。  2月28日AMはテレコムへ。PMはオンエアー。 3月1日
8:00から逆Vアンテナを上げ9:00からマレーにショッピング。Y AESU氏がド二ーを予約しておいてくださり3時間の
ガイド付き、ひとり7$のシ ョッピングツアーに出かけた。  船が着くと若い男の子がちゃんと待っていてくれて、市場、
大統領官邸、ドーム型 の礼拝堂を順番に案内してくれた。案内の子に合ったときにJAの人が経営するお店 に案内して
くれるんですねと確認したつもりだったのに、着いたところは階段を上が った2Fのわりと小さいお店だった。  男の人が
三人ぐらいいてトレーを手渡し欲しいものを全部入れるように、それから 値段交渉だと言う。商品には値札は何も付いて
いなくて、How much? と聞く と「だからトレーに入れなさい。それから気に入れば、値段的に納得すれば買えばよい」
と言うことだった。  結局VUQさんのフェア一じゃない!  という英会話でその変なお店から逃げだし ガイドブックの
レモンさん(JA経営のお店)を目指して街中を歩き回った。  やはり日本語で話せるといろいろな質問もでき、納得もでき、
日本人であるという 安心感もあり、買物はVUQさんの機転でおばさんは救われたのである。                                                                                                                                      今回もいろいろな出会いがあり、経験が出来た。  ヤエスの黒石さんとVUQさんは夜フィッシングツアーに出かけ船が
座礁し、SO Sの状態だったとの尊。船には無線機は積んでないし暗い海のどまん中に立たされて 不安はつのるし、
もう死ぬかと思ったとの弁だった。  私はなかなか戻ってこなくて心配し、カセットBoy君と別の船で様子を見に船着場まで
行ったりもしたが、私は誘われたけど行かなくて良かった。 またまた、水に対する恐縮心が倍増するから。  さてミ今回の
合計交信局薮2147局。内、RTTYが302局と光ってる。 Wからもヨーロッパからも1stだと喜びの声が帰ってきてAUQ氏の
キーさばきは すごいです。私も14MHzでWとヨーロッパのパイルも経験できたし、大変FBでした。  今も目を閉じて思い
だしたくなる水の色。海面があと25cm上がると沈んでしまう島の モルディプ。
また近い将来カムパックできる目がくるように願って、各局ありがとうございました。  73
                   おわり
(この記事は1990年4月から1990年7月京都クラブ会報No.240-245に掲載されたものです。)


  (C)Copyright JA3YAQ 2000 All Right Reserved.  *** 無断転載,複製は禁止します ***


   メインメニューへメインメニューへ    サブメニューへサブメニューへ    先頭へ 先頭へ


  Last Update May 12,2000