平成15年(2003年)12月18日
京都大学理学部附属植物園の管理運営方針に関する提案
京大植物園を考える会
http://ja3yaq.ampr.org/~bgarden/index.html


 本会は、京都大学理学部附属植物園(以下京大植物園)を将来どのように維持管理していくべきなのかについて考えるため学内外の有志によって設立され、京大植物園の将来の管理運営に関して具体的案を提示するため、観察会や勉強会を開催してきた。
 国立大学の独立法人化を控えた2003年8月、理学研究科に植物園運営委員会が設置されたが、、これはすなわち今こそが設立81年目にして最大の、重大な転換期であることを意味している。そこで本会では、今後80年、100年後をも見据えた意見書を作成することで、京大植物園の管理運営方針の決定に役立てていただきたいと考えている。
 本提案書では、
1)植物園の成り立ちと生育する生物群について整理し、2)植物園のこれまでの管理運営方針、3)植物園が果たしてきた機能とその特徴、さらに4)昨今植物園の維持管理上発生してきた問題について整理する。それらをふまえて、5)植物園の将来の運営に関して、短期的および長期的視野に立った提案をおこなう。

1) 京大植物園の成り立ちと現存する生物群
 京大植物園は設立当初、「植物園を単に珍しい植物を集めた栽培園ではなく生態学的特色をもったものにしようとの構想のもとに建設を進めた」という沿革の記述にもあるように、生態植物園(「植物学」園)として建設された。系統分類学をもふまえて植物が国内外から集められ、面積的には2ha弱と小さいなかにも疎水の水を引き水路や池、ヒカリゴケも培養された洞穴をも有するなど、特色をもった植物園としてこれまで維持管理されてきた。しかし一方で1923年4月の設立から80年を経て、園内に現在生育する植物も死滅や加入によって設立当初とは異なる様相を呈している事も事実である。現状は以下の3つの植物群に整理できる。A)現地採集も含め、意図的に導入され来歴の確かなもの、B)導入されたとされるが来歴の不確かなもの、C)人為とは無関係に園内に加入したもの。A)に関してはまさに植物園の設立理念を反映している植物群であり、B)に関しても理念に沿った導入であったと思われるが不幸にして記録がなくなってしまったものである。
 A)の中には占領下の台湾やネパール・ヒマラヤといった地域から持ち込まれた木本の種が数多く、マツ科針葉樹やブナ科のカシ類、ツバキ類、チャンチンモドキ、といった植物地理学における日華植物区系暖帯亜区系の日鮮暖帯区・華中区に属する植物群がとくに充実している。C)に関しては、一見管理の放棄の結果と受け取れるが、30年前に紀要(1973)が書かれた直前、植物園のある北白川氾濫原の植生の構成種であるエノキ、ムクノキ(ともにニレ科)といった樹種の択伐が行われており(村田源、元京都大学講師談)、植物園としては設立理念に沿った維持管理の影響下にあったといえる。紀要が発表されて以後植物園内の生物に関する包括的なリストは公表されていないが、木本性植物だけでも500種1000本に及ぶと言われている。またC)には多くの草本を含むが、これらは研究課題に応じた部分的な下草刈りによって管理されながら林床を適度に覆い、安定した環境を創出してきたといえる。
 京大植物園のもうひとつの大きな特徴として節足動物(昆虫、クモ類など)の多様性が高いことがあげられる。昆虫類は個体サイズが小さく宿主植物に対する選好性が高いため、植物の種多様度が高いことがこれらの高い多様性につながっていると考えられる。さらに、これら樹木や昆虫類の多様性は園内を訪れる鳥類の多様性をも高めていると考えられ、1990年ごろに書かれた沿革にも多数列挙されているし、現在も鳥類研究者のフィールドであり続けている。

2) これまでの管理運営方針
 管理運営方針のなかで重大な点は、生態植物園(または生態園)としての維持管理と周辺の部局・民家との折り合い、の二点である。
 京大植物園は、理学部附属と位置づけられる施設であり、理学部の植物学教室が中心となって管理をおこなってきた。1964年植物生態研究施設の設立後は同施設に管理がゆだねられ、1990年代の生態学研究センターの発足以降は、同センターが植物学教室と共に管理した時期もあった。1999年度より生態学研究センターが大津市に移転したことを受け、現在は植物学教室が再び管理主体となっている。
 しかしながら、自然林に近い林の造成を目指して努力し、生態植物園を研究の場として維持管理するという方針は貫かれており、林内環境の人為的改変を最小限にとどめる努力がなされてきた。すなわち、林内の樹木は立ち枯れや風倒などの事態をのぞいて原則として手をくわえず、林床の草本も研究上必須の場合を除いて手をくわえず、また園内に歩道を設け研究者以外は歩道以外に踏み込まないよう誘導する、といった方針である。
 一方周辺の部局・民家との間では、利害の対立も報告されている。つまり、北側に隣接する農学部圃場との日照権問題、東および南東側に隣接する民家に対する枝葉による日照権の侵害や物理的影響、落葉による物理的影響、または植物園由来と思われる節足動物類による被害、である。農学部との間には、農学部の要請に応じて日照権の確保のために北側の樹木の剪定をおこなう(樹高をおさえる)という申し合わせがあり、現に2002年11月に農学部より剪定の要請があった(添付資料3)。また周辺民家との間には数年に1回程度の剪定を行うとの申し合わせがあり、これらの管理が実行されてきた。
 学生有志による団体、「京大植物園観察学生会」により2003年6月から行われた北白川西町周辺住民に対するアンケート(添付資料4)に対し、確かに上記のような被害に対する不満の声が寄せられたことも事実である。しかし過去80年にわたる歴史の中で、植物園の存在意義を揺がすほどの軋轢が生じたことはない。これはアンケートにもあるように、好意的な意見が否定的な意見よりもむしろ多いこととも関係があるだろう。くわえて管理当局者、つまりは理学部の教官によって、民家に対して具体的な説明等が行われてきたことの効果が大きいと思われる。

3)植物園が果たしてきた機能とその特徴
 京大植物園はこれまでの歴史の中で、理学部のみならず、農学部、工学部、薬学部などの幅広い分野の研究、教育に大きく貢献してきた。植物園に生息する生物を材料に、植物学、動物学などの別を問わず数多くの論文が学術雑誌等に公表されており、また京大植物園をフィールドとして京都大学の博士号を得たものも数多い(添付資料3)。このように多様な研究成果があげられていることと、上述の管理運営方針、それにより保たれた多様で安定した林内環境とは密接な関係があると考えられる。
 研究の場としてだけではなく教育の場としての機能も見落とすことができない。近年の学生実習だけでも理学部の生態学実習が多数おこなわれ光合成測定などに活用されており、教養課程(現全学共通科目を含む)の地学実習などでも池の中の堆積物や微生物が観察対象として利用されている。さらには工学部や京都造形芸術大学の造形実習における写生の場を提供し、また園内には活断層が通っていることもあって情報学研究科の測量実習の場ともなっている。
 以上にくわえて、考える会として強調しておきたいのが学内の研究・教育における価値だけではなく、社会における都市内緑地としての京大植物園の価値付けである。上述のように、周辺民家との間に調整を必要とする課題があることは事実であるが、それ以上に、「京都市のただなかの緑地」としての存在意義はことのほか大きいと考える。当会では1ヶ月に1回のペースで京大植物園の観察会を催してきた http://ja3yaq.ampr.org/~bgarden/kansatu/kansatukai.html) 。参加者は学内や周辺民家に配布された案内や、ホームページ上の情報を頼りに集まってこられた一般市民や京大の職員・学生であったが、その多くが「都会の中の自然」、「近くに(キャンパス内に)ある林」としての価値を高く評価していた。この、京大植物園が有する都市の中の緑地としての価値は、現在においてその設立以来もっとも高まっていると考えられる。それは、現代が過去に類を見ないほど周辺環境が人工物で埋め尽くされた時代だからであり、同時に、設立後長い年月を経た植物園内の林が、樹齢60年前後の木々によってその林冠を形作られた成熟した状態にあるためである。

4)昨今、維持管理上発生してきた問題
 2002年11月から12月にかけて発生した植物園内の大木(林冠木)の伐採問題は、添付資料1にあるような農学部からの要請と、周辺住民よりの苦情に端を発している。これは植物学教室により公表された管理運営方針 https://web.archive.org/web/20071118124855/http://smsb.bot.kyoto-u.ac.jp/documents/bg_maintenance.html) に書かれているだけでなく、「住民の苦情」はアンケート結果も示唆するところである。
 しかし真に重大な点は、「管理者が苦情に対処した」ことではなく、一連の伐採が関係者(利用している各研究室)への公の通達も協議もなく(京大新聞平成15年7月1日号参照)、また過去の管理者が行ってきたような周辺民家との交渉を持つことなく(添付資料2)、実行されたことである。(1)で触れたように、京大植物園は研究者の意図の下に樹木が導入され、または択伐されることによって成り立ってきた場である。したがって、当会もそのような研究者の意図にむやみに異議を唱えるものではなく、目的やその決定過程の不明確な措置に対して疑問を呈するものである。
 このような事態に至った最大の理由は、現在植物学教室が取り扱う研究課題が、マクロ生物学といわれるものから、分子生物学を主体としたものに変容したことであると考える。かつて京大植物園の管理に携わっていた植物生態研究施設(現・生態研センター)が扱っていたような植物地理学や個体群生態学など、マクロな研究課題に取り組む研究者の不在が、植物園の草木、昆虫、鳥類への関心の低下につながったとしてもうなずける話である。資料5にあるように研究者や研究業績が数多いとはいえ、それらが主に理学部動物学教室や農学部に所属する人びとであることをみれば、植物学教室内の研究課題や研究者の関心の変容は明らかである。

5)京大植物園の将来の運営に関して、短期的および長期的視野に立った提案
 このような状況を鑑み京大植物園の今後の管理運営方針を考えるとき、とくに短期的には、来年度よりの独立法人化は大きな転機であろう。企業の、コスト・ベネフィットの論理を大学の運営に持ち込むことの是非そのものが問われているとはいえ、京大植物園の管理運営にあたっても金銭面のコスト・ベネフィット論に立てば、植物学教室の構成員が植物園、とくに温室や圃場をのぞいた樹木園部分を利用して業績(ベネフィット)をあげることはなく、他部局の利用者に占められている状況は「非合理的・無駄」と判断されうるだろう。この点に関してはホームページ上の公式見解 https://web.archive.org/web/20071118124855/http://smsb.bot.kyoto-u.ac.jp/documents/bg_maintenance.html) でも明確な方針は示されていないが、圃場や温室の管理には熱心であるという現在の管理運営体制にも、樹木園部分の管理費(コスト)に対する不満が感じられる。
 では、この「京大植物園問題」最大の関心事である樹木園部分の管理は、今後も現在のような体制で継続すべきなのか、完全に放棄してもよいのか、それとも維持管理費も含めての他部局への委託または共同管理といった方法を模索すべきなのか。2003年8月に発足した運営委員会からも明確には示されていない。
 われわれ考える会は、既に述べてきたように、京大植物園で行われてきた研究・教育には非常に高い価値があると考える。たとえ現在の植物学教室の研究課題がかつてのそれとは変容していたとしても、研究・教育の場としての植物園の価値は、間違いなく年間の維持管理費以上のベネフィットであるといえる。これは単に京都大学のベネフィットであるだけでなく、日本・世界の知的財産としての価値をも有している。
 また、植物学教室の方向性が変容しているとしても、今後生物学の趨勢が、そして植物学教室自身の方向性がどのように変容していくかは不明である。たとえば、中国大陸からもちこまれ育成されてきた植物や、温室内で維持されてきたシダ植物(中には絶滅危惧種、自生地で絶滅してしまった種が含まれている)などは、遺伝子資源としての価値を有しているが、それらが持ち込まれた当初から、現在のように分子生物学が発達した状況が明確に予測されていたとは考えづらい。同様に、現時点で不要にみえても、ひとたび樹木園の木々が失われてしまえば同様の状態を取り戻すのにはさらに80年もの時間を要することや、生きた遺伝子資源が失われてしまうことを考慮すれば、設立後一貫して取られてきた、過度の人為をくわえないという管理運営方針を守ることが最良の選択であると考える。逆に、その選択をとることを妨げる理由は、様々な課題が浮き彫りになった現在でさえ、見あたらない。

 一方、今後80年、100年といった長期的視野に立ったとき、京大植物園は、目先のコスト・ベネフィット論では量りえない価値をやはり有していると考える。本会としては植物園には長期的に研究・教育の場として人材を育成してきたという実績があることは無論だが、それだけでなく市街地内の緑地としての機能と価値をも有していることを強調したい。
 都市における緑地の価値は東京都の屋上緑化政策などに現れているように、年を追うごとに高まっている。京都市内においても、銀閣寺近傍の半鐘山開発問題や一条山(モヒカン山)開発問題に代表されるように緑地面積の減少はとどまることを知らない。そのような状況下、京大植物園周辺には、大文字山、銀閣寺国有林、吉田山、京都御所、糺の森(下鴨神社)、京都府立植物園などの緑地が存在する。これらの緑地は全体として生物の避難場所(refuge)であり、生物多様性の維持に貢献しているといえる。京都市内では、最も近い緑地同士の距離は2 kmほどだが、どれか一つの緑地が失われたと仮定した場合にもその影響は予想し難く、京都市内の緑地の「避難場所」としての機能を大きく損なうことが昨今の生態学(保全生態学)の知見から考えることができる。
 したがって、京大植物園が現在有するような多様な生物の生息環境を、無用の人為をくわえずに長期にわたり維持していくことはすなわち、ひろく一般市民にとって直接・間接的に価値のある環境を維持することでもある。

 最後に、植物園運営委員会または将来構想委員会に対して本会が希望することを列挙して本提案書を締めくくりたい。

1) これまでと同様に研究・教育の場として自由に利用できる場として管理運営する方法を模索してほしい。
2) 経費その他を分担するのか否かはともかく、有効面積の縮小は生物多様性に大きな打撃であるので、空間として「切り売り」はしないでほしい。
3) 将来的には現在よりも高次の組織として運営する方法を模索していただきたい。常勤の教官や技官をおき、植物園に対して予算を組んで管理することが、長期的なコストとしてはもっとも安上がりな方法なのではないか。お考えいただきたい。
4) 委員会を通じて利用者の声を反映するシステムを作っていただきたい。環境改変につながる施業が利用者に知らされない、という事態は防がれるべきである。
5)独法化はすなわち外部評価を重んじるシステムであるので、植物園の管理についても外部の意見を反映していただきたい。まずは、京都大学の他部局の利用者がその任にふさわしいのではないか。学外者を委員には加えないとしても、オブザーバーとしての参加、または議事進行の公開なども必要ではないか。お考えいただきたい。

 独法化を目前にして、研究上・教育上の意義を重視した決定を、ひいては社会に益する決定を、京都大学が全国の国立大学に先駆けて、下されることを強く期待します。

京大植物園を考える会
代表:川那部浩哉、河野昭一
文責:今村彰生(総合地球環境学研究所)

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