このページでは1982年以来、主としてJARL京都クラブのメンバーと共に行ってきたDXペディションをご紹介します。太平洋の島々が中心で、そんなに珍しいエンティティーはありませんが、どうぞご覧下さい。


N7DUU/NH0 (1982年10月8-16日)

N7DUU/NH0 1982年3月、初めてアメリカを旅行した折、KU7E(Irv)、KU7F(Flo)夫妻の好意により、私は幸運にもアメリカのアマチュア無線の免許試験を受験する機会を得ました。そして、ジェネラル級のライセンスを取得、カリフォルニア界隈では、JH3DPB(AH6OX ex WL7AOH)、JE3CYV(N6GJL), JE3EPK(KG7WX ex N7DUT) 、JG3RPL(KF6BJ)とともに往年のビッグコンテストステーション・KN6Mをオペレートすることもできました。当時の ARRL DXコンテストやCQ WPXコンテストは、楽しい思い出として今も私の記憶に残っています。N7DUU/NH0は、私が初めてアメリカのコールサインを使うチャンスに恵まれたDXペディションでした。このペディションは、かの有名なJA1UT・林氏の企画によるもので、他にJA1PCY、 JA1UPA、 JH1FVE、 JO1TLQ、 JE3AVS(KE6RD/KH0)、 JH4RUG、JA7ARNが参加しました。 JE3AVS・中田君は、南カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学したことのあるハムで、私の開局当時の京都市内のハム仲間の一人でもあります。サイパンでは、マイクロビーチにある『ハファダイ・ビーチホテル』に宿泊しました。そして、全世界からのものすごいパイルアップを思う存分楽しんだのでした。特筆すべきは、このペディションが、サイパンからのFAXオペレーションのファーストエバーであったことでしょう。なお、私たちのサイパン滞在中、現地のハムであるKG6SL, KH0C他の歓待を受け、大変お世話になったことを申し添えておきます。 ※なお、下表はKE6RD/KH0のQSO数も含んでいます。

QSOの内訳
Band/Mode
1.9
3.5
7
14
21
28
50
RTTY
FAX
Satellite
合計
QSO
8
17
66
857
5272 20291360
45
27
25
9732

N7DUU (1985年3月23-30日)

2回目のアメリカ訪問は、立命館大学無線研究会(JA3YQD)時代の仲間であるJG3POU・山本君と共に、春休みの1週間を使って計画した短い旅行でした。TS-120を持って行ったものの、旅行中のQSO数は、わずかに2局で終わってしまいました。この時の旅行は、主目的が観光であり、まずはロス・アンジェルス地区を見て回りました。それから空路シアトルに飛び、KU7E,KU7F夫妻に再会、メイリングアドレスにおいて初めてN7DUUのコールサインを使用。……といっても、それは彼らのシアトルの家にあった地下無線室から、145MHzだか420MHzだかのハンディートランシーバーで1階のリビングルームにいたFloをコールしただけのものでした。これが、旅行中の2QSOのうちの1つです。もう1つのQSOは、サン・フランシスコのマーケット・ストリートにある『グランド・セントラル・ホテル』という一見高級そうな名前のホテルで、朽ちかけた(?)一室の窓から垂らしたアンテナを使って、ごく近くのラブ局をコールした、というものでした。無線はこれだけです。しかし、観光もいいもので、サンタ・モニカのきれいな海岸、そしてサンタ・モニカのレストランでのおいしかったご馳走の味は、印象的でした。


N7DUU/NH2 (1985年8月24-26日)

N7DUU/NH2 このグアム行きは、中学校(京都市立双ヶ丘中学校=JA3ZUR)時代の友人であるJR3LSV・小梶君が、突然「グアム、行かへんか」と電話をしてきてくれたのがきっかけでした。同じ年の3月にアメリカへ行ったばかりなので、いくら何でも……と思いましたが、そこは独身貴族の気楽さ、結局OKをしてしまいました。確かにお金はありませんでしたが、彼が言ってきたスケジュールの中に、 オールアジアDXコンテスト(CW)がちょうど含まれていたことで、私の気持ちは決まったのでした。彼の目的(観光)と私の目的(コンテスト)は、傍目にはちょっと折り合いが悪そうに見えますが、こんなことはよくあること。そこはお互いが少しずつ歩み寄ることで、旅行中、常にベストな関係を保つことができました。 私は、彼のお陰で、珍しいものを見たり、泳いだり、クルージングをしたり、おいしいものを食べたり……と、グアムでの短い滞在を満喫できました。彼も、ゲストオペレータとして私のコールサインを使用しての海外からの無線運用に、エクサイティングな様子でした。私達が持参したセットはIC-730(100W)にダイポール1本という、極めてシンプルなものでしたが、それでも無線は十分に楽しむことができました。宿泊したグアム・リーフ・ホテルの日本人ホテル・クラークの好意によって張らせてもらったダイポールは、9階のベランダから2階のテラスへという良好なコンディションで架設でき、観光から帰った私達は、夜遅くまで無線に興じることができたのです。 当初の計画通り、オールアジアDXコンテストにも参加することができ、7MHz部門でグアム1位の賞状も手にすることができました。いろいろと機材を貸して下さったり、アドバイスをして下さったりしたJA3BAG, -OIN, -YAQ, JH3BJN各局に感謝します。

QSOの内訳
Band
7
14
21
合計
SSB
40 1459
500
CW
131 7479
284
合計
171 75538
784

5W1IL (1989年8月9-16日)

5W1IL 1989年、私が所属しているJARL京都クラブ(JA3YAQ)は、創立40周年を迎えました。その記念として、私達は、夏にDXペディションを行うことになりました。条件は、日本の免許で簡単に免許が下り、アクセスに無理がなく、かつDXCCのカントリーとしてそこそこ値打ちのあるところ。こうして選定されたのが西サモア(5W)だったのです。今でこそ京都クラブのDXペディションは有名ですが、当時は初めての試み。クラブ員の熱の入れ方も並大抵ではなく、12名ものクラブ員がこのペディションに参加しました。西サモアでは、12名全てのメンバーが、個々の免許を取得し、世界中からのパイルアップを楽しみました。それぞれ、コールサインは、5W1ID (JA3RCT), 5W1IE (JA3RZW), 5W1IF (JA3UWB), 5W1IG (JH3FJG), 5W1IH (JH3TXR), 5W1II (JR3KIB), 5W1IJ (JR3OFX=YL), 5W1IK (JE3QBG), 5W1IL (JF3PLF), 5W1IM (JI3NTS), 5W1IN (JK3DEV) ,5W1IT (JE3BUC)です。私達の宿泊した『オリビアズ・アコモデーション』は、西サモアのメイン・アイランド北岸にある民宿のような所で、先に大阪電気通信大学(JA3YBF)のメンバー達も、アマチュア無線を運用した場所です。従業員達はとても親切かつ友好的で、私達がHFのビームを上げていた時も、快く手伝ってくれたのでした。 このような心遣いもあって、私達はWARCバンドを含む3.5MHz以上のオールバンドで、快適な運用をすることができました。リニア3台、ビーム3本という設備は、「数のなせる技」です。そうそう、前述の大阪電通大のグループはバターナットのアンテナを残していってくれたので、それも使わせてもらうことができました。また、私達と入れ違いに帰国したJICAの山崎さん(5W1GP/JA6HOR)が機材を貸して下さったこともあり、RTTYのサービスもできました。夜通し続くアメリカやヨーロッパからのパイルアップは、本当に「ここまで来てよかった!」というDXペディションの醍醐味を感じさせてくれるものでした。免許手続き等でお世話になった5W1GP、同じくJICAの5W1GW(岩佐さん)、奥さんと共に私達をおいしい現地料理のパーティーに招待して下さった5W1FD(大滝さん)にも、深くお礼を申し上げたいと思います。
※なお、下表は12局のQSOの合計です。

QSOの内訳
Band
3.5
7
10
14
18
21
24
28
50
合計
SSB
0
730257 57284458 462643815
CW
3
50747238 30461125 17821591
RTTY
0
0059 0370 50101
FM
0
000 000 42042
合計
3
58047554 873342183 687665549

N7DUU/NH6 (1989年8月17-19日)

N7DUU/NH6 5WのDXペディションの後、私たちは3日間のハワイ観光を楽しみました。ハワイ通のJK3DEV・吉井君の案内でダイヤモンドヘッドに登ったりサンセットクルーズを楽しんだりするかたわら、私はここでも無線をしてしまいました。ワイキキに近いコンドミニアムの1室より、JA3RCT(久松さん)の買ったハスラーのモービルホイップをベランダに出し、主としてCWを叩きました。この時、リニア(FL-7000)は本来の目的で使用することができず、ホイップのモービル用マグネット基台のベースと化していました。50MHzの1局は、ハワイの無線機屋で出会ったAH6IOが声をかけてくれたもの、430の12QSOはKH6/J*3***で運用した同行メンバーとの交信です。



QSOの内訳
Band
18
21
50
430
合計
SSB
0
5
1
0
6
CW
10
0
0
0
10
FM
0
0
0
12
12
合計
10
5
1
12
28

N7DUU/6 (1990年8月1-12日)

新婚旅行にまで無線機とアンテナを持って行くのって、変でしょうか。近頃、こういうパターンのDXサーの話はよく聞きますね。当初の予定としては、サン・フランシスコ、ロス・アンジェルス、ニュー・オーリンズ、ニューヨーク、モントリオール、バンクーバー、シアトル……と旅行するつもりでした。しかし、妻(久美子=JE3EKB)が体調を崩したため、サン・フワン・カピストラノ(ロス・アンジェルスの南にある町)に数日滞在した後、帰国しました。無線機は持って行ったものの、QSOは東京大学(JA1ZLO)と、もう1局JAとしただけで終わってしまいました。土産を買いあさっていた妻に対し、私はロス・アンジェルスのヘンリーラジオで、AEA社のISO-LOOPを購入。変な新婚旅行でした。


3D2IL (1992年8月7, 14-16日)

3D2IL 1992年、JARL京都クラブでは、キリバス共和国(T30)へのDXペディションを行いました。参加メンバーは、私の他にJH3FJG (3D2IG/T30IG)とJH3TXR (3D2TX/T30TX)。日本からキリバスへは、直行便がないため、フィジーで乗り継ぐわけですが、この機会を私たちが見逃す訳がありません。往路、復路とも、ラウトカのキャセイ・ホテルに投宿し、無線を楽しんだのでした。幸い、日程的に滞在日がKCJコンテストとSARTG WW RTTYコンテストに重なり、参加。どちらもフィジー1位の賞状がもらえました。また、この旅にはもう一つ、すばらしいオマケがついていました。帰国の飛行機が修理部品取り寄せのため、大幅なディレイ。このため、私達は最後の1日を、シェラトン・リゾートで過ごすことができたのでした。超豪華リゾートにタクシーによる無料送迎、アルコール類以外の無料飲食、3分以内の国際電話も航空会社が負担! 旅の疲れも吹っ飛ぶ超リッチな1日でした。

QSOの内訳
Band
7
10
14
18
21
24
28
合計
SSB
0
-
4
3
57
3
2
69
CW
282 14452
3
125
3
1
610
RTTY
0 00
0
43
0
0
43
合計
282 14456
6
225
6
3
722

T30IL (1992年8月8-13日)

キリバス共和国は、太平洋のど真ん中にある島国です。国土の中を日付変更線が貫いているため、国内で日付が違うこともある、という珍しい国です。3D2ILのところでも触れましたが、このペディションは、JH3FJG(早越さん)、JH3TXR(山本さん)と共に行いました。 過去に私たちが行ったペディションの中で、T30は最も「レア」なカントリーではないかと思います。このため、私達が無線機の前にいる間は、常にパイルアップが止まることがありませんでした。無線をしばし中断してそんなに広くない島内を観光した時、私達は数々の第2次世界大戦時代の残骸を目にしました。ここは、大勢の現地の人々を犠牲にした日米の戦場であった訳ですが、今日では技術援助をはじめ、日本とも良好な国交が保たれています。憲法の前文にあるように、私達も「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないように」自戒したいと思います。


QSOの内訳
Band
3.5
7
10
14
18
21
24
28
合計
SSB
0
16
-
41 34900 3 471041
CW
2
65035537 5455048 651761
RTTY
0
0171 51302 12221
FM
-
-
-
-
-
-
-
2020
合計
2
666356149 93158053 1443043

KC6IL (1993年8月6-13日)

KC6IL この時のメンバーは、JH3TXR (KC6TZ), JR3OFX (KC6IJ), JF3PLF (KC6IL), JI3DLI (KC6LI), JH0XUP (KC6UP)の5人でした。私達の泊まったのは、パラオを訪れるハムにはあまりに有名な『ニュー・コロール・ホテル』。マネージャーのリアさんが、最近になって無線の免許を取られたという話からもわかるように、無線に対して大変に好意的なホテルです。当時からフロントデスクには、ここに宿泊したハム達のQSLカードが飾ってありました。リアさんは、私達に屋上を自由に使わせてくれたばかりか、部屋も最上階の無線に適した所を都合してくれたのでした。上がってみた屋上には、過去のペディショングループの残していったパイプや同軸ケーブルが……。同軸はともかく、パイプは私達も使わせてもらいました。ペディションは、出かけるまえに会長(JH3QNH)から「ログ2冊終わらへんかったら、帰って来るな」と言われていたこともあって、5人それぞれが2000局超のQSO数を記録、全体としては京都クラブのペディションとして初めて10000局を超える大成功を収めることができました。160mのリクエストに応えて、ホテル近くのハードウエアショップで電線を買い求め、急遽ダイポールを作ってQRVしたり、6mのオープンがあったりで、内容的にも充実していたと思います。ただ、コールサインでは、頭の混乱した方もあったでしょう。同時にKC6ILとKC6LIが出ていましたし、KC6UPというのは「6kcアップ」の意味に非ず。Hi…… 私達自身としては、「DXペディション」というより、いつも「DXバケーション」のノリですので、むしろこういうややこしさも、困らせる楽しみ(?)を味えてFBでした。

QSOの内訳
Band
1.9
3.5
7
10
14
18
21
24
28
50
合計
SSB
-
097
-
058597 36557 850
CW
21 32470460 26302145 138546 1655
RTTY
0 000 37545 6120 105
合計
21 32567460 63366787 18012113 2610

KI7BO/KH2 (1993年8月13日)

パラオ(KC6)からの帰路、私達はグアムで飛行機を乗り継がなければなりませんでした。大変長い時間待たされるのに、エアコンはなし。そうです、数日前にグアムが大地震に見舞われた、あの年だったのです。天井、壁、看板……いろんな所が壊れています。エアコンもダウンしたのだそうです。しかたがないので私は少しでも涼を取ろうと屋上へ上り、連絡用に430MHzのハンディーを用意しました。こうしてメンバー同士で交信したQSOが、私がKI7BOのコールサインを使用した最初で最後のチャンスでした。


K7IL/KH6 (1997年7月25日-8月25日)

K7IL/KH6 ECC外語学院で週1回英語を習っていた頃のお話です。1996年、運良く参加した『第28回ホノルル市長杯全日本ECC英語弁論大会』において、中級以上の部で 優勝することができました。副賞はすばらしいもので、「ホノルル市長公式訪問のための全渡航費、 滞在費並びにハワイ大学1ヶ月間の語学研修費用全額」でした。かくして私は、1997年夏、1ヶ月間 ハワイへ行くことになりました。もちろん、せっかく海外へ行くのに、そこで無線をしない手は ありません。昨年バニティーでもらったK7ILのコールを初めて使うチャンスでもあります。私は、 FT-757とモービルホイップ持参でハワイへ行きました。寮でさっそく運用開始。ほどなく、ハワイ のKH6CD, HowieやK5XS, Bernieと知り合いました。また、出発前にQSOし、クラブ局WH6CYFからオペ レートしないか、と誘ってくれたK7CXJ, Johnとも連絡が取れました。彼らを訪問したり、無線を させてもらったり……、大変FBな経験ができました。もちろん、英語もちゃんと勉強しましたけれど。

QSOの内訳
Band 7 14 21 合計
SSB 0 106 4 110
CW 1 84 0 85
合計 1 190 4 195


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K7IL/KH0 (1999年7月29日-8月2日)

1982年に、私が初めてのDXペディションを行ったのが、このサイパンでした。あれから、もう17年もの年月が経ちました。しかし、再びここへ戻ってきた、ということは、無線にかける情熱がまだまだ健在である証拠です。ただ、今回私達は、八重洲無線のレンタルシャックのお陰で、大変楽ちんなペディションを楽しませてもらいました。何も持って行かなくても、そこにはリグもアンテナも揃っているのですから。 今回は、8人という大所帯のペディだったので、なかなかオペレートの順番が回ってきません。前回訪ねた場所も含め、観光もできましたし、前回強烈な印象を残してくれた(?)ビーチのナマコ達とも再会することができました。その傍ら、3日半という短期のペディでありながら、私自身2000局余、全体として8600局余のQSOができたことは、なかなかの成果ではなかったかと思います。 また、クラブ局・W8YAQで初めて運用が行われたこと、KH0/JA3YAQでもサービスができたことは、私達JARL京都クラブにとっても大きな足跡でした。なお、今年のメンバーは、JA3ART (N3JJ), KA3KWZ (AE4SU) , JF3PLF (K7IL), JA3AJ (N7EIU), JH3TXR (KF8TW), JA3RR, JH3QNH, JH5IXG(YL)の8名+JH3QNH's 2nd=沙織ちゃんの9名でした。なお、サイパン写真集をアップしました。英語しかありませんが、下のリンクからどうぞ。 

QSOの内訳
Band
7
10
14
18
21
24
28
50
合計
SSB
2
-
295 87 594 53
20
20 1071
CW
212 6 283
285
224
16
13
56 1095
合計
214 6 578
372
818
69
33
76 2166


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V60IL (2007年7月29日-8月5日)

私の所属する「JARL京都クラブ」が、創立60周年を迎えるので、その記念行事としてこのDXペディションを行うことになりました。計画段階から、60周年にちなんで、プリフィックスに「60」がもらえる国がないか、物色していたのですが、通常のプリフィックスが「V63」であるミクロネシアを目的地に選びました。ダメでもともと、と主管庁に特別プリフィックスの発給をお願いしたところ、2ヶ月の期間限定ながら、快くV60のブランドニュー・プリフィックスを割り当てていただくことができました。参加者はJA3ART(V63JJ), JA3UWB(V60TI), JF3PLF(V60IL), JH3TXR(V60TX), JN3JBC(V60KL), JI6DUE(V60DU)の6人でしたが、局としては、これにクラブ局のV60YAQも加えて7局がオンエアすることとなりました。運用に使用したのは、過去にも多くの運用実績があり、オーナーが日本人である「サウスパークホテル」。北方向は、申し分のないロケーションで、広い庭も使い放題。アンテナを張ると言えば、従業員のお兄ちゃんが、椰子の木にも登ってくれます。クラブで買ってもらったHFビームのブームを日本に忘れてきた、なんていうハプニングもありながらも、それはハードウェアショップで買った木材でウッドブームを作って解決するなど、アマチュアライクなペディでした。事前にウェブページで大々的にPRしたことや、現地でインターネットに接続して、オンラインログサーチを更新したことは、時代の流れに沿った新しい試みだったと言えます。フルに1週間の滞在で、無線はもちろん、遺跡観光もシュノーケリングもショッピングも、けっこう満足な旅でした。免許手続きでは、JH8BKL/河瀬さんご夫妻、観光では現地滞在のケニー大村さん、そしてJICAで政府観光局に派遣されておられる飯島さんに、大いにお世話になりました。公式ウェブページは、下のリンクからどうぞ。

QSOの内訳
Band
3.5
7
10
14
18
21
24
合計
SSB
  1
-
16 40 48 1 106
CW
89 201 631 88
312
 
49
1370
RTTY   2 27 32        
PSK31       31        
合計
89 204 658 167
352
48
50
1568


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